青春対話 芸術との語らい1

これから先、感動したクラシックの名曲や、一流の絵画などについても紹介して参りたいと思います。

今回は、その前段としまして、青春対話 芸術との語らいから池田先生の指導を拝して参りたいと思います。

芸術の世界は、「ほっとする」ものであって、身がまえたり、窮屈になったりするものではないのです。疲れている心を励ましたり、きゅっと凝り固まった心を、ときほぐし、解放させてくれるのが、芸術であり、文化なのです。
【池田名誉会長の青春対話2 21世紀の主役に語る 池田大作(聖教新聞社)以下同】

皆を納得できさせられる人、尊敬と感謝ができる人が本当の芸術家であり、文化人であることを、二十一世紀を担う皆さん方は知ってほしいのです。

一流の芸術には「生命力」がある。生きている。作者の「生命」が打ちこまれ、、魂がこもっている。

仏教と文化は表裏一体

特に仏教は、裏を返せば文化なのです。表裏一体なのです。文化も仏教も人間を「内側から」薫発するものです。(中略)「敦煌芸術に置いては、創意の源泉は宗教にあるかもしれません。もし仏教を信じていなければ、敦煌壁画のような作品は絶対に生み出せないと思います」

自分が上手にできなくても、偉大な芸術と接することが大事です。
「素晴らしい」と感動できることこそが、芸術の「心」なのです。見て、聞いて、感動して、そして何かを見出すことが、芸術の「心」です。
(中略)
本当に自分が感動し、賛嘆できるものが「一流の芸術」です。人ではない。「自分」が、感動する主体です。(中略)
「皆がいいと言うから」「皆が悪いと言うから」というだけで追随していたら、肝心かなめの自分が死んでしまう。
先入観を捨てて、、白紙の自分で、どんどん直に、ぶつかっていくのです。その結果本当に感動すれば、それが自分にとっての「一流」です。

人それぞれといっても、じぶんかってということではない。本当によいものを見抜く力は、努力し、「養って」できるものです。自分が進歩していけば、前には「いい」と思ったものが、そうでもなくなったり、前にはピンとこなかったものが、すごい迫力で胸に迫ってきたりする。
たとえば、今、世界的に評価されているものは、長い歴史の中で、多くの人が感動し、賛嘆されてきた。それらの作品には、たしかに、それだけの何かがある
反対に、にせものは一時的には、もてはやされても、長続きしない。
(中略)
 やはり、傑作と言われる絵画や音楽を、たくさん見たり聴いたりすることでしょう。それが感性を磨く。
 二流・三流を見ていたら、一流はわからない。一流を見ていれば、二流・三流は、すぐわかる。鑑識眼ができてくる。だから、最初から、最高のものに触れるべきです。本で見ているだけでも、いつの日か実物を見た時に受ける感動は、まったく違ってくる。

より一流の芸術に触れて参りたいです。
そして、仏法を基調とした文化・芸術を発信して参りたいです。
そのためにも、英知を磨いて参ります。


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