心の休ませ方 「つらい時」をやり過ごす心理学 2

昨日書きました心の休ませ方 「つらい時」をやり過ごす心理学 1 - 信心の王者たれ!の続きとなります。

表現されない憎しみの感情を心の底に持っていれば、気分の良い場所にいても気分は晴れない。

生きることに疲れた人は生命力が低下している。

はけ口を失った憎しみは行動力を奪う

愛を求めているがゆえに閉じこもったのである。愛を求めているがゆえに憎んだのである。

人は、自分が受け入れられているという実感がなければ内ほど仮面をかぶる。仮面の厚さと自信のなさは正比例する。

人は、ありのままの自分を受け入れられることで、周囲の人への信頼感が生まれる、愛されているという実感を持つ。
従ってうつ病になるような人は、皆が楽しそうにしていればしているほど、孤独感が刺激される。自分は仲間はずれだという寂しさが刺激される。

皆が楽しそうにしている情景で憎しみが刺激される。

憂鬱な人は自分のやりきれない気持ちを聞いてほしいのである。そのやりきれない気持ちをくみとってほしいのである。

大切なのはその人の無念の気持ち、悔しさ、憎しみの感情をくみとってあげるということなのだ。

うつ病者の感情として抑うつ感情の他によくいわれるのが、「もの悲しい」という感情である。「もの悲しい」のは外に向けられるべき攻撃性が自分に向けられているからである。
更に「すべてがダメ」という感じ方である。

「打ちのめされた」という気持ちもよく言われる。

幼児的願望があるから満たそうとして、相手に絡みつく、しがみつく、まとわりつく、拗ねる。
(中略)しつこい、くどい
うつ病になる人は、いつも何かにしがみついていないといられない。

「立ち上がれないである」。
それは自分の人生の目的がなくて、周りから振り回されて生きてきたからであろう。


うつ病者はさらに罪責感に苦しむ。
うつ病者は自分の心の葛藤で精一杯であるから、他人への思いやりなどはない。
それに比べて生命力のある人は人は他人への温かい思いやりを持って生きている。
他人の心の痛みに無関心ではいられない。生命力のある人々は、自己執着の強いうつ病者に比べれば、心理的には「無」の状態に近い。自分のことよりも他人のことを考える。
しかもそれらの行動が義務感ではなく、暖かい愛情から出ているのである。


【「心の休ませ方」「つらい時」をやり過ごす心理学 加藤諦三(PHP文庫) 第4章 うつ病者の感情表現】

生きていることに疲れたあなたは今まで頑張りすぎた。頑張りすぎなければ生きることに疲れることはない。

あなたが休めば、あなたの人間関係がわかる。誰が誠実で、誰が不誠実かが分かる。誰があなたを利用しようとしてあなたにお世辞を言っていたのかが分かる。

自分を軽く扱う人は「切れ!」。

ずるい人と別れれば自信がつく

「生きることに疲れた状態」は、自分の人生の中で必要なトラブルと思えばいい。
そして、「なぜこのトラブルが起きたのか、自分の生き方のどこに間違いがあったのか」と考え、このトラブルから学ぶことである。

自分の心に響く音楽や本を見つける


【「心の休ませ方」「つらい時」をやり過ごす心理学 加藤諦三(PHP文庫) 第5章 春がくるまで休もう】

これからは自分に誠実に生きることである。そうすれば自然と人には誠実になる。

「明日死ぬとしたら自分は何をするか」
「この人たちとどういう人間関係で終わるのか」
「自分は今まで何をしてきたのだろう」

「自分の感じ方を受け入れる―これが状況に対処する第1歩である」。
癒やされる相手を探すことである。無欲の人を探す。今までのあなたの周囲の人とは価値観の大きくずれている人を探し、つき合う。
居心地のいい場所を作る。それは安心して身をゆだねることのできる場所である。
そしてあなたの辛かった身の上話を聞いてくれる人を探すことである。「あなたはそれほど苦労したのねー」と聞いてくれる人である。
心を「今」に置く
手に入らないものを追いかけない
過去にこだわるから、今動けない
人の心理的成長を止めるのは「憎しみ」
子どもの頃の憎しみは過去にならない
嘆いても現実が解決しないことは自分もわかっている
それと同時に彼らは愛を求めているのである。自分を認めてくれ、愛してくれ、分かってくれと叫んでいるのである。

不幸な人の思考は循環する

不幸な過去から抜け出し、「今を生きる」ための唯一の方法は決断である。「人生とはこういうものであったが、人間とはこういうものであったか」と学び、そして「ならば私は今からはこう生きよう」という決断である。

「孤独な決断」とは、不幸になる宿命を担ったものの「それでもなお、幸せに生きるための決断」である。

マズローが、自己実現している人は、「それにも関わらず」という考え方をする共通性があるという。


【「心の休ませ方」「つらい時」をやり過ごす心理学 加藤諦三(PHP文庫) 第6章 「生きるための決断」をせよ】

自分から行動を起こせない
受身の態度が困難を呼び込む
幼児的願望は受身の願望

「人にこうして欲しい」という願望を捨てれば、幸運が来る
苦しみを訴えるだけで解決を考えない
消極的見通しは事態を悪くする

自分のしていることを楽しめない
心の中に「自分の城」をつくれ
自分の居場所を見つける


【「心の休ませ方」「つらい時」をやり過ごす心理学 加藤諦三(PHP文庫) 第7章 うつ病の心理】

大人の幸せとは、「自分の中の心の中で自分が広げていくもの」
うつ病者の心の中は、生命力が低下しているので、ちょっとした障害にも反応する
うつ病者は心に手錠がかかっている
自分を殺して生きてきた
この機会に生き方を変えよう。人を見る目を変えることである肯定的なことに目を向けるべきである。
今は違う道があることに気づくチャンス
自分の心の世界の歴史を書くのも休むための1つの方法である。
自分のためだけの1日を実行する。


【「心の休ませ方」「つらい時」をやり過ごす心理学 加藤諦三(PHP文庫) 第8章 生きるエネルギーをためる法】

ここ数日、引用ばかりではありますが、ここにこの本で書かれていた孤独な決断(言い換えれば決意ですね)、致します。

元々、2008.6.15.の少し前に読んだときに心に決めたことですが、少し修正をした言葉を贈りたいと思います。

それは、

「私が今の状態に陥った理由は、過去を推察するに、私の抑鬱な傾向は、人から愛されなかったという心情から起因します。また憎しみの念が人1倍強いことを認識せざるを得ません。結果的に、自分のことしか、目の前のことしか見えていないことも事実であります。私自身、池田先生と御本尊様と原点を気づきあげていく中で、表面上の人間不信は間違いなく消えました。しかし、その頃の名残があることを痛感するものでもあります。事実、ダラダラ長い心情を打ち明けられる仲間がいても、それが罪悪感を生んでいる面がございます。しかし、



何があっても、



御本尊と池田先生



を信じ、



ぶつかり抜いて、



生き抜きます!!



そして、



同じ思いは、



誰人にもさせません!!」



天台大師は、不退位になることで、成仏することをいわれました。

末法である、今、それにあたる言葉は、日蓮大聖人の仏法を現代に展開された池田先生の言葉にあると思います。
そこで、池田先生の指導を拝して終えます。

何があっても御本尊から離れてはいけない、信心の歩みを止めてはいけない。人生の途上には、様々な苦難がある。行き詰まりもある。その時にこそ信心の心を強め、唱題に励んで参りたい。(中略)その究極として、永遠に崩れない絶対的幸福境涯につながっていく。ともかく、信心の根を、強く、深く、張っておくことだ。根さえ張っておれば、たとえ風雪の時があったとしても、太陽の光が輝き、水が与えられれば、必ずしだいしだいに大樹へと育っていく。信心と人生の歩みもまた同じである。
―1989.5.28―


【希望の明日へ 池田名誉会長スピーチ珠玉集 池田大作(聖教新聞社) 第2部 人生の指標 第1章 人生 苦難 P388】

心の休ませ方 (PHP文庫)


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