仏教芸術

まず、法華経をテーマにした芸術から参ります。
莫高窟美術館 法華経変見宝塔品
本当は観光ガイドにも数多く掲載されている敦煌莫高窟敦煌関連の本に掲載されている第420窟・419窟・第217窟・第217窟・第23窟の法華経変をお見え出来れば良かったのですが、掲載されているサイトがなかった関係でコチラとなりました。

敦煌石窟全10巻』を見れば、より多くの法華経変の絵画を見ることができると思います(まだ見ていないのです)。
私が本で見た第420窟の法華経変の絵画は、三車家宅の譬えを表現したものでしたが、極彩色の青と緑で彩られたとても美しいものでした。家が燃えているにも関わらずにそれに気づかずに遊んでいる子ども達が描かれております。教典の内容を適確に絵画で表すと同時に、人の慈悲心を引き出す絵でありました。そうした壁画が石窟の壁・天井の至る所に描かれており、宇宙大の仏の世界を表現しております。ここで、青春対話から池田先生が引用された常書鴻画伯の言葉を引用致します。

敦煌の作品が、今日なお、みずみずしいのは、画工たちが心で、魂で創作したからだと思います。心の底から生み出した創造的な力は、にせものではありません。真の芸術作品は千数百年を過ぎたとしても、人々に感動を与える力は衰えないのです。表面だけ見ると、美しく見える芸術品にしても、よく見ると、にせものだとわかる場合もあります」と。

敦煌芸術においては、創意の源泉は宗教にあるかもしれません。もし仏教を信じていなければ、敦煌壁画のような作品は絶対に生み出せないと思います」と。

【池田名誉会長の青春対話 21世紀の主役に語る1 第4巻 芸術との語らい(上)P22・P24 池田大作(聖教新聞社)】

法華経に描かれたことを、わかりやすくするために尽力をされた仏工・画家の方々の苦難を乗り越えての創作の姿が目に浮かぶようです。

日本にも滋賀県西明寺の三重塔内に法華曼荼羅図(法華経変相図)があるようです。
こちらは、法華経二十八品が模様がハイライトで描かれているようです。

法華曼荼羅とは、wikipediaを見ていると、我々が拝んでいる御本尊を指すこともあるようですが、ここでは主に、宝塔の中に釈尊多宝如来が二仏が並んで座り、その周りを八大菩薩が取り囲んでいるものです。この法華曼荼羅が成立したのは、密教が弘まってからだと考えられます。

長谷寺銅板法華経相図やその他の宝塔品や法華曼荼羅を描いたものを見ますと、釈尊多宝如来が二仏が並んで座り入っている宝塔の形が様々です。
日本では、その際に、多宝塔が描かれることが多いようです。その一方で、長谷寺銅板法華経相図のように、多宝塔の形ではないものもあります。実は、「法華経」見宝塔品第十一自体には、多宝塔(宝塔)の形式は記載されておりません。
ですから、いかようにも表現できるわけです。


密教が隆盛する時代になり、その世界を建物などで、表現されていたようです。寺の建物すべてが曼荼羅の一部として構成されている例としては、チベットのサムイェー寺、ボロブドゥール、仏塔が須弥山を含めた世界を表現し、曼荼羅という例は、チベットのパンコルチューデ仏塔、曼荼羅を立体化した例は、パンコチューデ仏塔・ポタラ宮のなかにある立体曼荼羅もそうですが、ポタラ宮の赤宮の構造自体がそうです。


仏塔にしても様々な形があるようです。五重塔やインドの仏塔では、その形がかなり違います。インドの仏塔は、『倶舎論』などに説かれている仏教宇宙論からその形が生まれたようです。なお、五重塔は、その最上部の五ヵ所の地輪・水輪・火輪・風輪・空輪をそれぞれの層に当てているようです。


京都 西陣 妙蓮寺には、お釈迦様は、永遠の存在であって、久遠の過去からの本弟子たちが、大地の中から湧き出した姿を表現した枯山水の庭があるようですね。


法華宗の京都の町衆が生み出した、桃山文化狩野派による、豊かな色彩と力強い線描、雄大な構図の絵がとても多い時代でした。


話は横に反れますが、学会が宗門と離別する前の、宗門を紹介した資料(新訂 大石寺 P70-P71、聖教新聞社)を見ますと、御影堂には優美かつ力強い絵が描かれているようです。御影堂内部は、内部は、金貨の飾り物と朱色の何か(よく見えません)が置かれてあり、豪華絢爛なようです。ここから、さきほど紹介した資料から、仏教文化を見て参ります。御影堂と三門と五重塔は、例を見ない朱塗りの建物であるようですね。ここからは、破門前に学会が寄進し、今は無き建物から参ります。まず正本堂から、世界的にも半剛性吊り屋根構造と三角錐トラスによる世界的にも希有な頑強にして管制塔時世界最大の広さを誇った妙壇、三大秘法を表現した3本の塔、美しき絵画・躍動感溢れる彫刻、妙法蓮華経を象徴的に表現した円融閣、八葉蓮華を表現した八葉の池、和風の建物であっても、ダイナミズムを忘れない、自然造りの緑豊かな庭園、これは、建物が壊されてなどされており実際に確認をとることはできません。
桃山文化以降の、日蓮大聖人の思想の影響を受けた文化芸術に共通するものとして、色彩が豊かかつ鮮やかであり、雄大で力強い美を生んできたということができるでしょう。今無き建造物についていえば、それはギリシャ
文明が持つ、典雅・写実的・簡潔・調和・均整・堅牢・重厚・荘厳・厳格・優美な美を日蓮大聖人の仏法の思想のもとに、融合したものと捉えることができるのでは、ないでしょうか。


そう、仏教美術ギリシャ美術(西洋古典美術)は融合することができるはずです。
唐招提寺の柱は正にギリシャ建築の技術が使われております。柱の真ん中が若干ふくらむことで、遠くからは真っ直ぐに見える手法はその最たる例です。
ガンダーラ美術は、インド文化とヘレニズム文化の融合から生まれました。グプタ王朝期、盛唐、奈良の仏教文化全盛期は、その影響ゆえに、仏像が写実的でした。


様々な文化・芸術の交流から、橋渡しそしてさらなる芸術の創造に携われる人間になるためにも改めて頑張ろうと決意!!


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