仏教医学

"宿命的な疾病"―これを仏教では、業病と呼ぶのですが、この業病を治癒に導くもの、業病をだきとって慈悲と智慧のなかでとろかすようにいやしてしまうもの、業病を抱える人の苦悶を本源的に抜きとるものこそ、、仏の生命であり、それは、自らの強靱な意志と努力によって、自己の生命内奥からくみあげ、発動させていくものであります。煩悩の闇が晴れて、間の胎動をも慈悲への力として展観する時、泉のようにわきいづる仏性こそ、人間存在のかかえた"生命の病"をいやす本源力だというのです。

仏教医学では、病者自身の強い意志と、たえざる努力を要請します。仏教という宗教自体が、自らの力による"悟り"を要請し、そのための修行法を説くものである以上、病者を直接の対象とする仏教医学においても、自力による疾病治癒の姿勢が貫かれているのも当然のことでありましょう。仏教医学は、種々の疾病を抱えた苦悩の人を、内なる釈尊の顕現へと導くためのあらゆる手段と条件をときあかそうとします。仏教医学の対象は、病気ではなく、病者として"四苦"にあえぐ、人間存在そのものであります。従って、仏教において、仏教医学は、人間としての"悟り"への道程のうちに位置づけられていますし、病者の治癒はそのまま"四苦"を転換する仏道修行ともなりうるのです。

病者の治療は、菩薩群の身体と心をめざしての一里塚であり、疾病の治癒は、そのまま人間革命につながり、心身ともに健全な、まことの人間を現出させうるでしょう。少なくとも、生きる喜びにひたされて、他の人々に慈悲と英知を投げかける理想的人格の形成をめざしていることだけは断言できるのではないではないかと思うのです。

同じ仏教を基盤としたチベット医学との共通項がとても多いです。そこで、相違点を、中心に取り上げて参ります。

病因論をめぐって 病因の分析―仏法的病理学


仏教医学の特異性は、仏法に立脚した綜合的な病因論にあるといえます。


摩詞止観による分析

魔の所為
四大不順(四百四病):坐禅不調・飲食不節・鬼の便り、(大智度論には、寒熱外傷も原因としてあげられております)
業病


四大不順とは身病としての四百四病です。
鬼の便りとは、外界から生命体にもたらされる破壊的な働きであり、これも主に、四百四病をひきおこします。従って、ここまでが身病の起きる原因となります。
魔の所為のなかで、重大な要素は、煩悩、渇愛等の働きです。これは、心病をまきおこします。
最後の業病は、先世に根源因(先世の業の中の悪業)をもつ疾病です。


人間生命は、肉体と心の調和統一体です。
もし、肉体と心をわけてのべるとすれば、仏法でいう色法の領域が肉体となり、心法の支配する領域が心となりましょう。

身体(生命)は、肉体と心の統合的存在として、過去から未来へと流転していきます。その間に、種々の疾病を経験するのですが、過去に疾病の根本的な原因を有すると考えられる病気を業病といい、業病は、生命体の最深部、中核を貫いて生命流転とともに消滅をおりなすのです。そこから、私たちの肉体と心は、2つの領域へと独自の働きを発現していきます。つまり、1つの領域は肉体であり、他の領域は心、精神です。しかも、2つの領域は、融合しつつ、一体となって生命活動を営んでいます。

病相の診断(摩歌止観・小止観の記述を同時に記述にする形に原文から変更)
四大の不順
地大:身体苦重・堅結・疼痛・枯痺・痿・瘠・腫結沈重・身体枯痺
水大:虚腫・飲食不消化・腹痛下痢
火大:挙身洪熱・骨節酸楚・嘘吸頓乏・煎寒・支節皆痛・口爽れ鼻塞・大小便痢皆不   通
風大:心懸・懊悶・戦掉・疼痛痒悶・嗽逆気急

五臓の疾患
肝:面に光沢なく、手足に汗なし、眼睛疼赤・喜愁憂し楽しまず・悲思し・瞋恚・頭痛眼闇
心:身体寒熱・疼痛口燥
肺:面が漆黒・身体脹満・鼻より膿血・四股煩疼・心悶え、鼻塞がる
腎:身に気力なし・腹脹れ、耳満つる
脾:身の渋し・身体顔面上遊風瘤々・痒悶疼痛・飲食味失う


       四大不順と季節の関連
       春     夏  秋     冬
仏医経 寒病   風病 熱病 風と寒の合併病(金光明経では地大病)

           治療法の特色

天台の二十五方便
五縁を具す:人間らしい生活態度をとりもどす・必要な衣食をととのえ、しかも感謝の念を失わないこと・自然に囲まれた静かな場の要求・諸の煙霧から解放されるべきである・好ましい人間関係にしぼっていくべきである
五欲を呵責する:治療のために、色欲・声欲・香欲・触欲の5つの欲望を健康人以上に制御すること(もちろん、有用な場合は、用いること)
五蓋を棄てる:貪欲・愼恚・睡眠・掉悔・疑
五事を調う:食(体質・病状・季節に合わせた食事)・睡眠(覚醒と睡眠のリズムを取り戻す)・身(適切な身体活動を行う)・息(心を腹の底にあつめ、身体をゆるやかにはなち、空気が全身の毛孔から自由自在に出入りしていると思って呼吸を整えよ)・心(心が沈んで、気力がない時は念を鼻端にかけ胃を分散しないようにする・身も不安定で、他のことに心が走ってしまう時は、心を下にむけて安んじ、臍の中に集中します・こころがあせり、気が上向し、胸臆が痛む時は、心をゆるく放ち、鼻から入る空気が下腹部へと流れ込んでいくと思うこと・心が散漫になり、まとまりがない時は、心をひきしめ、身を正しく保つ)
五法を行う:欲(疾病いがいのことをはなれ、治癒へのだいがんをおこすこと)・精進(たえず、おこたらず持続していくこと)・念(今の自分にとって病気を治すことが最も重大事であると念ずること)・巧慧(病者は病者として、知恵をしぼって工夫すること)・一心(途中でも心を動揺させず、目標に向かって定められていること)

6種の治療法
止:心をとどめ、情念の波立ちを整え、静穏にたもつ。精神集中の方法。「ただ心を安んじて止めて病処におけば、即ちよく病を治す」心をかけて臍の中におく。豆つぶほどの大きさにしてとどめる。衣をといて自由にし、目をとじ、口歯を合わせ、舌をあげて上顎部につけ気息をととのえる。もし、心が外に走れば、これをとらえて元にもどす。心を足にとどむ

                    6種の気の行い方
     口形                  対治        疾病<フーッ>と火を吹くように          寒気     冷病・心臓病<フーム>と口を軽くむすんで        熱気      熱病・心臓病<フフフフ>と歯牙をあわせたままで      痛   関節痛・風病・腎臓病<アハハ>と口を大きく開いて         煩     膨張上気・肝臓病<ハー>と咽頭に力を入れて        痰・満        肺病<ヒー>と歯列間を少しあける         労      疲労・脾臓


             12種の息の行い方

            心理作用             対治疾患
上息        うわずった気持        沈重・地大病
下息        引きさげる気持         虚懸・風病
満息        腹を一杯にする          枯瘠
          少しせきこむように         脹満
増長息       ゆっくりと力を抜いて   
滅壊息       心を沈ますように         増盛
煖息        あたたかい気持            冷
冷息        冷ややかな気持           熱
衝息        突き進むように      
持息      じっとおさえるような気持ち      掉動
和息        おだやかな気持         四大不和
補息         おぎなう気持            虚乏


仮想:心のなかで、仮りに想う一念が、疾病に好影響を与える
(その中の1つである)暖酥治労損法は、頭の上に酥があり、それが次第にとろけて、脳から次第に五臓へとひろがっていくことを仮想する療法。
病者自身の想念にかかっている療法です。

チベット医学医学では、三液論で、3つにわけておりましたが、仏教医学では、それに当たるのが四大不順になっております。


暖酥治労損法で登場する酥は、ミロバラン、甘露(アムリットorアムリタ)、トリファラに置き換えても良いように思います(今あげたものは、チベット・インドにおける万能薬)


1番最後の観心は、我々が日頃から唱えている題目がその役目以上のことを果たします。偉大な仏法に巡り会えたことに感謝。


他にも書いていないことがございますが、仏教の法理に関連するところですので、今回は省略いたしました。


こうして見ると、チベット医学を含む仏教医学は、生活の質を向上していくための知恵といえるものではないでしょうか。
東洋医学は、人の免疫力を生かし切るという姿勢があり、それは今の免疫療法にもつながる点ではないでしょうか。


私自身が、身体が病弱であり、どうしたらアレルギー体質が直るのか、昭代を少しずつ上げ始めるなか免疫療法に関連することを調べる中で、東洋医学に出会い、ここまでたどり着きました。食生活は、これらに近づけた結果、食べて数時間後に湿疹悪化という事態は避けられ、随分とよくなりました。


現代医学と比較して、セルフ・コントロールの一環として、互いによいところは、認め合い、生かして参りたい。


           仏法と医学 (レグルス文庫 (44))
           仏法と医学



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