何をしなければならないか、思索し反省…そしてそれは、決意に変わる

若鷹を見ていて、背筋が立つエピソードを見ました。

一部、言葉を丁寧にして転載致します。

池田先生の若き日の日記には、記されている言葉。
『革命とは死なり  我らの死は妙法への帰命なり』

先生は、この「妙法への帰命」を"戸田先生に仕える事"と定め、自分の人生を捧げて来られました。
戸田先生の何気ない一言、冗談に放った言葉さえも、先生は全部実現しようと心に決め、現実にして来ました。
これが、先生の「志」。

我らは、到底同じ事が出来ようはないが、師匠の「志」の一端でも、お手伝いさせて戴きます、というのが我々弟子の「志」ではないのでしょうか?
何の為に音楽隊や鼓笛隊を育てたのでしょうか。
何の為に文化祭をやったのでしょうか。
何のために公明党を創ったのでしょうか。
何の為に民音を創ったのでしょうか。
何の為に学校を作ったのでしょうか。
膨大な指導集を残されるのも、世界の識者との対話も、教学に力を入れるのも、青年を育てるのも、女性を大切にするのも、あれも、これも、どれも、いったい何の為なのでしょうか。

我々弟子を名乗るならば、師匠の志の一つでも、お手伝いをさせて戴くことに福運を感じ、報恩の思いで、喜んで、進んでやろうとするのが「志」ではないのでしょうか?

その後、謙虚になれ、五眼を縦横に使えるような境涯を持て。と続いておりました。


創価大学の石碑に、今も胸に刻んでいる言葉があります。
『英知を磨くは、何のため。君よ、それを忘るるな』

普段から研鑚に励んでいるでしょうか?
何のために、池田先生は、世界にこの仏法を広められてこられたのでしょうか?
報恩感謝をするとは、どういうことでしょうか?実際に実践ができているでしょうか?
何に、自分の人生を捧げるべきでしょうか?


振り返ってみました。その中で、私が、何のためにそれをするのか、この視点が欠如していたこと、ゆえに意義付けがまだまだ不足していることを痛感致しました。


これからは、これまで以上に研鑚して参りたい。さらなる吸収を、そして足りない点をより自覚し、克服するための実践を。そうすれば、今よりも遙かに唱題が集中できるはずだ。長時間開けられて唱題をするように、鞭を打つことができるはずだ。


飛翔せねばならぬ時は来た。断じて、負けるな。断じて、負けるな。耐えて、耐えて、耐えて、最後は、魔に対して完全なる勝利をしようではないか!!



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