都市から農村へ

トインビー:最近、化学肥料や殺虫剤の大量使用によって、農産物の出来高はめざましくぞうだいしていますが、私も、こうして作られた食物は栄養分も少なく、健康にも良くないのではなかと危惧しています。さらに、こうした不自然な使い方によって、天然の土壌の肥沃さが、やがて取り返しがつかないほど損なわれてしまうのではないかと心配するのです。

 これまで、ほぼ一万年にわたって農業を営んできた経験から、われわれは、さほど高い生産性を望まないかぎり、家畜の糞を肥料に使う混合的な農法をとったり、、作物の輪作を行ったりして、農耕地の肥沃さを長く維持しうることを実証してきました。また、そうした農法がとれない地域では、田畑を定期的に休ませることもできるわけです。


池田:そうした、人間の労力を主体とする農業は、たくさんの農業労働者を必要とします。このような労働力に対する需要の増大は、現段階においては困難な問題を起こしていますが、都市部において工業のオートメ化が進めば、工業労働人口は減少することも予想されます。


トインビー:産業革命以降、技術、経済面でのいわゆる先進諸国においては、人口の大部分が農村から都市へと吸い込まれていきました。これは一つの社会的災害でした。都市の工場や会社での仕事は、人間の生き方として、また生計の資を得る手段としては、農村での農耕や牧畜に比べると、心理的にもはるかに満足感が少ないからです。都市化、工業化は、いまや経済的な問題ともなっています。オートメ化、コンピュータ化が進んで、人間の労力を主体とする筋肉労働や事務作業が余分な存在になりつつあるからです。

 都市の労働力に余剰が生じ始めるその時期に、もし農村がより多数の労働者を必要とするようになれば、それこそ願ってもない幸いとなるわけです。


【二十一世紀への対話(上)アーノルド・トインビー、池田大作 共著 聖教ワイド文庫(都市から農村へ P102-P107)】

最近、就農の話題をよく目にしますね。あまり人のことは言えませんが。これから、都市から農村に人口がしていくのでしょうか。タイで近い例を、めにしたことがあるものの、満足感を多く得られる仕事、たけしの万物創世記で登場した都市の機能を1つのビルに凝縮し、それは食料の生産に最も適さない場所に設置し、。肥沃な地は、灌漑により水資源が枯渇しないギリギリに農地を広げ、工場は、大気を汚さないために、ビルから多少離れた交通至便の地に設置。公共交通機関は、(高架)鉄道・地下鉄・モノレールを主軸に、それらをロープウェーなどで補完し、自転車で行けるところは、自動車の代わりに自転車・バスを極力使い、自動車は、いざというときは、軽く上空に飛び、空気圧か燃料電池・水素電池などの電池で走る危険を察知して少しでも事故を起こしにくい自動車(もちろん起きても被害は最小限に抑え)、温室効果ガスやオゾンホールを止められるだけの森林。実現可・不可能を抜きにすれば、これが1つの理想像でしょうか。


農業は、意図の生死に直結する産業。そうしたものを大事にする人間でありたい。そして、今の現状を少しでもよくするためにも、英知を磨き、人痩躯な行動ができる人でありたい。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ