音楽について

「さらに美しい」ためならば、破り得ぬ(芸術的)気息は一つもない。

音楽は人々の精神から炎を打ち出さなければならない。

音楽は、一切の智慧・一切の哲学よりもさらに高い啓示である。……私の音楽の意味をつかみ得た人は、他の人々が引きずっているあらゆる悲惨から脱却するに相違ない。
(1810年、ベッティーナに)

神性へ近づいて、その輝きを人類の上に拡げる仕事以上に美しいことは何もない。

何故私は作曲をするのか?―[私は名声のために作曲をしようとは考えなかった]私が心の中に持っているものが外に出なければならないのだ。私が作曲するのはそのためである。
(ゲーリングに)

私のいつもの作曲の仕方によると、たとえ器楽のための作曲のときでも、常に全体を眼前に据えて作曲する。
(詩人トライチュケに)

ピアノを用いないで作曲することが大切であります……人が望みまた感じていることがらを表現し得る能力は―こんな表現の要求は高貴な天性の人々の本質的な要求なのですが―少しずつ成長することです。
(オーストリアのルードルフ大公に)

描写は絵画に属することである。この点では詩作さえも、音楽に比べていっそう幸せだといえるであろう。詩の領域は描写という点では音楽の領域ほどに制約せられてはいない。その代わり音楽は他のさまざまな領土の中までも入り込んで遠く拡がっている。人は音楽の王国へ容易には到達できない。
(ヴィルヘルム・ゲルハルトに)

昔の巨匠の中で、ドイツ人ヘンデルとセバスチャン・バッハだけが真の天才を持っていました。
(ルードルフ大公に、1819年)

「和声の父」セバスチャン・バッハの気高い偉大な芸術に対して私の心は全的に鼓動する。
(ホーフマイスターに、1801年)

どんなときでも私はモーツァルトの最も熱心な賛嘆者の1人であった。私は生涯の最後の瞬間まで依然としてそうであるだろう。
(僧シュタットに、1826年)

芸術はあらゆる人々を結合させます。
(ケルビーニに、1823年)

ベートーヴェンの生涯 ロマン・ロラン著 片山敏彦訳(岩波文庫)】

『音楽は、一切の智慧・一切の哲学よりもさらに高い啓示である。』とは、音楽は言葉では表現できないことも表現できると、と言葉を残したベートーヴェンらしい言葉ではないでしょうか。

『ピアノを用いないで作曲することが大切であります』おそらく、自然に口ずさめる流れるようなメロディーが美しい曲を作るためにはピアノ(鍵盤楽器)を使うことも大事ではないか、鼻歌を歌いながら作曲をしていくべきではないだろうかと言っているような言葉です。しかし、ベートーヴェンの声楽作品から少しだけ違和感を覚えるのです。それは、第9やミサ・ソレムニスのソリスト(特に合唱)がまるでオルガン曲のような極端な音の上下、ピアノのような急激な強弱から鼻歌を歌いながらは幾分違和感を感じるからです。鼻歌を歌いながら作曲をしていくべきではないだろうかは、私の勘違いでしょう。モーツァルトは、その点は正反対であり、その点は、モーツァルトに学びたい。


『芸術はあらゆる人々を結合させます。』芸術は人の連帯を生むということを表しています。フィンランド独立にシベリウスフィンランディアが鼓舞したエピソード、スメタナドヴォルジャークの楽曲がチェコ独立に与えた影響、キリスト教布教に生家が与えた影響、ドイツ統一の際に、ベートーヴェンヴァーグナーの音楽の影響など、例をあげればキリがありません。

『音楽は他のさまざまな領土の中までも入り込んで遠く拡がっている。』つまり、サブリミナル効果のように、音楽というものは、人間の無意識に働きかけ、心身に多大な影響を与えることを、書いています。だからこそ、一流の芸術に触れていきたいものですね。

『常に全体を眼前に据えて作曲する。』であるからこそ、ケルン大聖堂のような建築物を想起するような、形式美に溢れた楽曲が作ることができるのだと考えました。



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