5.3記念代表者会議での名誉会長のスピーチ

ここで、アンデルセン箴言をご紹介したい。
「人生という学校は人を向上させるところ以外のなにものでもありえない」
人間として向上しゆくために信心がある。
そして、一生成仏という究極の向上の道こそが、学会活動である。
また、アンデルセンは「苦難は私たちの船を進める風」との諺を胸に刻んでいた。
仏法の「煩悩即菩提」の法理とも響き合う。
御書に「難が来ることを持って、安樂であると心得るべきである」(P750,通解)と仰せのように、「声仏事を為す」(御書P708)である。
ともあれ、しゃべることだ。語ることだ。叫びきることだ。
その言論の力が、邪悪を破り、正義を宣揚する宝剣となる。


【2009.5.3 代表者会議での名誉会長のスピーチ 八王子・牧口記念会館、以下同】

この後、話はは変わり5.3の意義に移っていく。戸田先生の事業が暗礁に乗り上げ、理事長を辞任され、戸田先生と池田先生の苦闘の日々この時、池田先生は、戸田先生を会長に就任して頂きたいとの思いで戦い抜かれた。私の1つの希望の目標とて、祈りを定めていたのが5.3だと書かれていた。

新たな獅子吼を


なぜ、5月の3日なのか。
戦時中、創価教育学会としての最後の総会が行われたのが、昭和18年の5月の2日であった。


(中略)


殉教の我が先師の正義の獅子吼が刻まれた、最後の創価の総会の日が、5月2日であった。
ならば、その次の日に当たる「5月3日」を、新生・創価学会の「発迹顕本」の出発とするのだ―。
私は、戸田先生と同じ厳窟王の心で、誓い定めていたのだ。


(中略)


この5月の3日には、三代の師弟の「報恩」、そして「後継」の深い意義が、幾重にも込められている。

私は、先生の心を叫び抜いた。師弟の道を訴え続けた。
広宣流布の師匠の魂に心が融合する時、地涌の菩薩の知惠と勇気の生命が、我が胸中にも、わき起こるからだ。

最大の勝因は


その最大の勝因は、一体何であったか?
それは、一言で言うならば、いついかなる時も、我が心が師と共にあったことだ。
私は、一切を先生に報告し、指導を仰いだ。最寄りの目黒の駅で降りて、駆け足で先生のご自宅に向かったことも数知れない。
また"先生ならば、どうされるか"を常に考えた。
先生が今、私を見たら、何と言われるか?
胸を張って、ご覧いただける自分であるかどうか。
私はいつも、そう己に問うてきた。

先生に逐一報告し、求めていく姿勢。そして、この文の下4行に書かれている姿勢。報告を怠っていたことは、最近私が反省したことの一つです。この文の下4行については、今までできていませんでした。意識していくことから始めたい。

祈りと行動こそ


一、私は、来る日も来る日も、自分自身に強く言い聞かせていたのである。
「仏法は勝負である。ゆえに、敗北は罪である。負ければ、先生の広宣流布の構想を頓挫させることになる。断じて負けてはならない。絶対に勝利の報告をするのだ」
その一心不乱の「行動」が、力となり、知惠となった。
その勇猛精進の「行動」が、活路を開き、諸天善神を動かした。
ただただ、先生に喜んでいただきたい!
その誓いの一念だけで、来る年も来る年も走りに走った。

(中略)

師匠の挑戦は、弟子の勝利である。
弟子の勝利は、師匠の勝利である。
そして「師弟」の栄光は、「永遠」の栄光である。

敗北は許されぬ。これからは、この一点は言い聞かせよう。それが、今の自らの低落を乗り越えるために、大切なことだと、考えました。

仏法の根幹は、「師弟」である。
なかんずく、「師弟不二祈り」である。
大聖人は仰せだ。
「弟子と師匠とが心を同じくしない祈りは、水の上で薪を炊くようなものであり、叶うわけがない」(御書P1151,通解)と。
いくら祈っても、師弟が心を合わせていかなければ、祈りは叶わないとの御断言である。
反対に、師弟の祈りが不二であれば、断じて祈りは叶う。絶対に不可能を可能にしていくことができる。これが仏法の方程式である。

師を求め抜く祈りを忘れずに。

命を燃やせ!


一、ともあれ、天台大師の「法華玄義」には、「法華折伏・破権門理」―法華の折伏は、権門の理を破す―と明言されている。
大聖人も「日蓮折伏を本とし」(御書P867)と断言なされている。
この仰せの通りに、創価の師弟は「折伏精神」を燃え上がらせて、ありとあらゆる中傷批判の悪と戦い抜いてきたから、勝ったのである。
広宣流布のいかなる戦いも、その勝利の要諦は「折伏精神」という決意が燃えているか、どうかだ。


(中略)


真剣に学会活動に励む人こそが、三世に輝く生命の王者なのである。
「これから後も、どのようなことがあっても、少しも信心が弛んではならない。いよいよ声を張り上げて責めていきなさい」(同P1090,通解)
この大聖人の厳命のままに、正義の攻撃精神を燃えたぎらせていく限り、学会は負けない。永遠に負けない。

いよいよ、活動に出始めた段階です。まずは、くらいついていくことから。
すべてに、頑張ろう。そう、言い聞かせて。

「我が人生、師匠は戸田先生お一人だ。師の大恩を、永遠に忘れない」―これが私の決心であった。
「難こそ誉れ」「難こそ喜び」―この覚悟で生きてきた。

(中略)

同志に尽くし抜くのが真の指導者だ。

(中略)

どうしたら、皆に勇気と希望を贈れるか。
どうしたら、皆が感激を分かち合い、喜びにあふれて、前進していけるか。
そのために祈り智慧を出すのである。

(中略)

一つ一つが真剣勝負である。

一回一回、全力で取り組めるように、唱題を、して参りたい。

「大きな崩壊は小さな原因から」


有名な御聖訓には、「師子王は前三後一といって、蟻を取ろうとする時にも、また猛々しいものを取ろうとする時も、全力で飛びかかることは、まったく同じである」(御書P1124,通解)と仰せである。
どんな小さなことにも手を抜かず、油断しない。善根を込めて勝ち抜いていく。ここに、師子王の師子王たる所以があるのだ。

また、青春は、苦悩の連続であるかもしれない。しきあし、苦悩こそ創造の泉だ。

(中略)

精神こそ翼だ。勝利と栄光の人生へ飛翔する大いなる翼こそ、信心にほかならない。

(中略)

「友情あれ!希望あれ!充実あれ!」

ロシアの文豪トルストイは喝破した。「最高の正義の前では、罰を受けない悪などというものはありません」と。
若き日に読みふけったトルストイのこの言葉は、仏法の方程式と同じであると実感した事が、今でも私の心に残っている。
善のため、平和のため、民衆のため―そこに正義は輝く。
戸田先生は、「学会に敵対するならば、いかなる者であれ、大聖人が許さない」との大確信であられた。

邪悪への攻撃精神をもて!


あの熱原の法難の渦中、日蓮大聖人は、日興上人をはじめもんかにおおせになられた。
「あなた方は、恐れてはならない。いよいよ強く進んでいくならば、必ず、正しい経緯が明らかになると思います」(御書P1465,通解)
この法難は、幕府の強大な権力者・平左右衛門尉による大聖人門下への、狂いに狂った迫害であった。日興上人等ととも熱原の農民の弟子たちは、讒言や謀略などに一歩も退かず立ち向かって、戦い抜いた。
大聖人は、本抄だけでなく、常に門下たちに「少しも恐れてはならない、強く強く戦い抜け!そうすれば必ず仏になる。聖者は明らかになる」と打ち込んでいかれたのである。
この何ものをも恐れない「師子王の心」に、寸分違わず行動されたのが、創価の父・牧口先生であり、戸田先生であられた。
牧口先生は言われた。「戦えば戦うほど、こちらが強くなればなるほど、仏法勝負の実証は早く出てくる」
戸田先生も、繰り返し叫ばれた。
折伏精神以外に信心はないと、覚悟することだ」
折伏の『折る』というものは、悪い心を折る。そして折伏の『伏する』ということは、良い心に伏せしめるということだ」
さらにまた、戸田先生は、次のように徹して教えていかれた、
「悪に対する反撃の根性を持て!」
「信心とは、邪悪への攻撃精神である」
この攻撃精神で戦い抜いてきたゆえに、学会は、世法や国法においても、そして仏法の上でも、正義の勝利を燦然と刻んできたのである。

自らの魔に勝ち抜いていこう。

学会発展の原動力は何か。
それは、偉大なる婦人部の皆様の活躍である。婦人部の真剣で誠実な、地道な活動の積み重ねである。


(中略)


女性に比べると、男性は、ややもすると要領や要領に走ってしまう。見栄を張り、自分のことばかり考えて、エゴに陥ってしまいがちである―こうした指摘もある、

女性に、最敬礼。

利己主義者には感謝も恩もない

文豪ゲーテは『ファウスト』の中で綴っている。
「ただわが身が可愛いというのが、いつでも利己主義者の信条だ。感謝も恩義も、義務も名誉もないのだ」
畜生すら猶 恩をほうず 何(いか)に況や大聖をや」(御書P204)とは、「開目抄」の一節である。
仏法は、人間にとって一番大事な「恩」を教えている。
法華経の重恩に報いようとしない人間を、日蓮大聖人は「不知恩の畜生」(同P)と厳しく断じられた。
知恩・報恩の道を最大に重んずる仏法の世界にあって、忘恩、背恩の悪行は、あまりにも罪が深い。

自己顕示欲に負けぬよう、生命を研ぎ澄ませていこう。

私との対談*1のなかで、"戦争の廃絶"という「人類が近い将来に到達しなければならない目標」の一つを達成するために、「最も重要な要素」とされていたのも、「女性の美徳」であった。

教育者ゲーテ


学問の喜びを、真剣な探求が開く素晴らしい世界を、青年に伝えたい。思う存分、若い精神を耕し、学びの青春を謳歌してもらいたい。これがゲーテの願いであったにちがいない。私も同じである。

一生、探求心を手放さない。

師弟の魂を胸に


「他者に貢献するという思想のもとに、自分自身の人生を展望していただきたい」
「時代の変革がスピードアップした社会にあって、常に新たな知識を吸収すべきです」
変化の激しい現代社会は、"智慧の戦い"の場である。
すばやく学び、価値を創造できる智慧のあるものが勝つ。

「自ら学ぶ力」が人生勝利の土台

創価教育の創始者・牧口先生も強調された。
「(教育は)知識の切り売りや注入ではない。自分の力で知識する(=知識を得る)ことの出来る方法を会得させること、知識の宝庫を開く鍵を与えることだ」現代は、生涯学習の時代だ。青春時代に、自ら学ぶ力を養うことが、生涯学び続け、人生を勝利していく土台となる。

卑劣な嘘で社会は衰亡


人を貶め、傷つける悪意の嘘を打ち破り真実を打ち立てるのが、真の知性である。
卑劣な嘘が"毒"を撒き散らし、良心を麻痺させれば、社会は衰亡する。
真実が勝利する社会は、信頼が広がり、平和となって栄える。


(中略)


振り返れば、創価の師弟も、権力の悪と戦い、正義を貫いた。私自身、無実の罪で牢に入れられ、法廷でも闘い抜いた。

歴史上、多くの正義の闘士が迫害されてきた。それを思えば、今は恵まれている。環境に甘えて、いい気になったら、とんでもないことだ。革命児の気概を失ってはならない。

(ビンセント・ハーディング)博士は、語らいのなかで、社会に貢献する人間のあり方についても述べておられた。
「私たちは、人間に生まれたというだけで、真の人間になれるわけではありません。人間となることを目指し続けてこそ、真の人間となれるのです。
そのために大切なのは、人のために貢献し続けることなのです」と。まさに、その通りである。


(中略)

人々の幸福を願い、貢献しゆく創価の人生は、最も崇高な実像がある。人間として最高に満足で、充実した人生の正道なのである。

原点に立ち返れ


ハーディング博士は、とりわけ、宗教の重要性を強調しておられた。
宗教のあり方について、次のようにも述べられている。
「私たちが、宗教を正しく実践するために、常に、その原点に立ち返ることが不可欠です」と。そして、その原点とは、「始祖の振る舞い」にあるとおっしゃっていた。
私たちにとって、根源の始祖とは、日蓮大聖人であり、師子王の御姿こそ、永遠の原点である。
また大聖人は、「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(御書P1174)と仰せである。宗教の真の価値―それは、人間の行動によって輝きわたるのである。


(中略)

宗教は、人間の幸福のためにある。
ゆえに、その宗教をもつことが、人間を強くするのか、弱くするのか、善くするのか悪くするのか、さらには、賢くするのか愚かにするのかを、検証してゆかねばならないであろう。

ここで引かれている御金言にふれる度、いつも背がピンとします。すべては、人の振る舞い。理想からは、ほど遠い。理想に近づくために、日々成長し続けたい。

日蓮大聖人が御入滅された弘安5年(1282年)のその時、日興上人は数えで37歳。
それから、実に50年以上にわたって、日興上人は、後継の広宣流布の指揮を執り続けていかれた。
ただ一人、師匠の正義を護って護って護り抜かれた生涯であられた。
本来であれば、大聖人が「本弟子」として定められた「六老僧」の仲間が、日興上人を支え、護らなければならなかった。
しかし、彼らは「本弟子」の座から転落していった。人間の心はわからない。
彼らは、権力に屈して「天台沙門(天台の一門)」と名乗って、天台宗の祈祷を行ってしまったのである。
そこには、「日蓮が如く」の魂は全く感じられなかった。
その重大な違背は、弘安8年(1285年)―大聖人の滅後、わずか4年目のことであった。


(中略)


その濁流に抗して、日興上人は、決然と、一人立たれた。
ただただ、師匠の戦われた如くに戦う。それが日興上人の心情であられた。


(中略)


日興上人は、"今の状況は、全く師匠である日蓮大聖人が予言された「立正安国論」の通りではないか。本来であれば、国を挙げて、我が師匠である日蓮大聖人を賞すべきではないか"と叫ばれたのである。
この堂々たる獅子吼こそが、弟子の実践の真髄である。
どこまでも、どこまでも、命をとして、師匠を宣揚せんとの魂が脈打っておられる。


(中略)


たとえ師が偉大であっても、その精神を継ぐ真正の弟子がいなければ、結局、何も残らない。


(中略)

この大聖人と日興上人につらなる、創価の三代の師弟もまた、師の偉大さ、師の正義を、叫んで叫んで叫び抜いた。
ここに、創価の永遠の栄光があることを知らねばならない。


(中略)

臆病は悪である。
恐れなく、勇気を持って戦おう!


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
スカウター : 信心の王者たれ!

*1:トインビー博士との対談