クリティカルシンキング その1
タイトルをその1としたのは、いつか、この事をテーマに書くときがまたあると考えたからです。
私は、短絡的であり、感傷的であり、そして衝動的に行動する人間ゆえ、日常的にかなり破天荒なことを考えたり、論理飛躍をし過ぎて、支離滅裂になったり、論理が破綻したりということを良くやります。
何か、良い本はないだろうかと、今夜40分唱題する中で、大学2年の頃、ゼミで学んだ本があるではないか!!ということで、ここからキーとなる言葉を引いて行きます。
クリティカルな思考とは何か
クリティカルな思考に必要な要素は、*1態度・*2知識・*3技術である。特に重要なのが、注意深く観察し、じっくり考えようとする「態度」である。
人の行動の原因を考える時、状況の影響を過小視することなく、個人の影響を過大視することのないよう注意せよ。
【クリティカルシンキング 入門編 E.B.ゼックミスタ・J.E.ジョンソン共著、北大路書房、以下同】
ものごとの原因について考える
人は目につく出来事や、他のすべての出来事の中から浮き上がって見える出来事だけに注目し、それが原因だと即断してしまう傾向があるので注意せよ。
因果関係を立証する基準は、共変関係*4、時間的順序関係、もっともらしい他の原因の排除の3つである。
共変関係は、それだけでは因果関係を意味しない。共変のみを根拠に因果関係を結論づけてはならない。
原因と結果の発生順序が、直感的に見える純と逆である可能性が考えられないか検討せよ。
韻学館系の根拠を求める際、第3変数が存在する可能性を注意深く探れ*5。
共変の度合いを見積もる時、自分があらかじめもっている期待や信念の影響が入り込みやすいので注意せよ。
因果関係の根拠として前ー後論法を示された時、同時発生の原因や自然な原因が存在しないかを考えてみよ。
原因は2つに分けて考える
十分原因 これがあれば必ずその出来事が起こる
必要原因 これがなければその出来事は絶対に起こらない→必要原因が全部そろえば十分原因
そして、人はもっともめだつものを原因として選択する傾向がある
因果関係を決定するためには?
一致法 同じ出来事が起こる時に共通して存在する原因を探す
差異法 それがないと出来事が起こらない原因を探す
この2つの方法の併用法が最も有効な手段である。
クリティカルな思考とは何か、ものごとの原因について考える、この2ヵ所に書かれている姿勢は、仏法における文証・理証に通じる姿勢であると考えました。論拠と道理・筋道を大切にする姿勢はまったく同じではないでしょうか。
他人の行動を説明する
人の行動は、一致性*6・弁別性*7・一貫性*8の3次元で評価せよ。そうすれば、原因の所在がハッキリする。
他に促進的に見える要因があると本来の原因の重要性が割引かれ、逆に、他に抑制的に見える要因があると原因の重要性が実際以上に割増しされがちであることに注意せよ。
他人のしくじりの原因を過度に本人の性質に帰属する基本的貴族錯誤に注意せよ。
自分が同じ失敗をした時に、自分ではどう帰属するかどうかを考えてみること。
ステレオタイプ*9的な分類は思考の経済性という利点がある反面、相手の個人としての人格を無視してしまう危険性も大きい。
自分でも気づいていないなんらかのスキーマ*10にとらわれているはずだという自覚をもて。
自分の原因帰属*11が間違っている可能性があることを、常に忘れるな。
原因帰属は、相手や自分の将来に重大な悪影響を及ぼすことさえある。このことをけっして忘れるな。
色眼鏡をかけないところから。
自分自身を省察する
人は自分自身とにとって好ましい自己概念を保つために、しばしば偏った情報処理を行う。それは、自己高揚バイアス*12と自己防衛バイアス*13である。
抑うつに陥りやすい人は、自分に起こった悪い出来事を、必要以上に、内的*14・安定的*15・全体的*16な原因に帰属している。
自分にとって「常識」と思えることでも、それを支持する確たる根拠があるのかどうか、また、誰にとっても正しいことなのかどうかを再検討せよ。
自分の判断や決定が誤りだった(つまり自分が愚かだった)ことを認めたくないために、合理化により真実から目をそむけている可能性に留意せよ。
自分のせいで人が傷ついてたり、苦しむような結果になった時(あるいはただの傍観者である時でさえも)、被害者側の落ち度や責任を過大に見積もりがちになることに注意せよ。
自己ハンディキャッピング*17はできる限り避けよ。なぜならそれは、自ら失敗の可能性を高める行為だからだ。また、印章管理の手段としてもけっして有効ではない。さらに、失敗から学び、根本的な問題の解決へ向かうべき道を自ら閉ざしてしまうものだ。
性格論的自己非難は非生産的である。行動的自己非難に切り替えよ。自分のした行動を反省すればよいのであって、自分という人間を自らおとしめる必要はない。
失敗したり、行きづまった時、自分のした努力の質と量を再検討せよ。特に、努力の方向が正しく、効果的な者であったかという「質」の検討が重要である。
困難な目標に取り組む時、途中にいくつかの少目標を設定し、それを一つづつ達成していくことに専念せよ。
「すべての人」認められなければな、らないとかものごとを「完全に」やり遂げなければならない非合理な目標をいだいていないかどうかを自省せよ。
抑うつの人は、いつもすべて自分のせいにする。まさにその通り。私自身が頻繁に陥るため、いつも、気をつけて参りたい。
信念を分析する
あなたの持っている信念は、必ずしも正しいとは限らない。先入観や誤った直感によって形成されたものでないか、常に吟味せよ。
自分で直接体験したことを過信するな。
われわれはどれだけの実例を思いつけるかによって出来事の生起確率を判断する利用可能性ヒューリスティクスを使う。自分の利用可能な情報に偏りがないかどうかに注意せよ。
われわれは出来事が自分の持っている概念とどれほど合致するかによって生起確率を判断する代表制ヒューリスティクスを使う。自分が誤った概念を頼りにしていないか、また、現実の確率を無視していないかに注意せよ。
人の判断の好みはしばしば特定のものに偏る。つまり、その生起確率をサイコロのように均等なものとして考えると誤る可能性がある。
大数において作用する法則を、小数の場合に単純にあてはめてはならない。
自然が自己修正を行うという誤った信念(ギャンブラー錯誤)に惑わされるな。
「たんなる偶然(偶然の一致)」こそが、しばしば最も有効な説明原理である。
人は自分が期待している通りにものごとを見てしまう傾向がある。
われわれの信念は、もともとは嘘であっても、自分の期待と一致するように自分自身や他人の行動を導くことで、やがて現実となる場合もある。
祈る中で、考えていることを精査して参りたい。
*1:問題に対して注意深く観察し、じっくりと考えようとする
*2:論理的な探求法や推論の方法に関する
*3:それらの方法を適用する
*4:出来事Xが出来事Yの原因であるならば、出来事Xと出来事Yは友に変化しているという関係
*5:出来事XがYの原因と考えられ、さらにこの出来事X意外にYを「合理的に」説明できるものが何も存在しない時にのみ、XがYの原因であると認められる
*6:他の人々もその行動をしたかどうか
*7:その行動が特定の対象にのみ向けられていたかどうか
*8:いつでも同じ行動をするかどうか
*9:固定観念
*10:ステレオタイプ
*11:その原因があるところ
*12:好ましい出来事については自分をおだてるように原因の帰属を行う
*13:都合の悪い出来事については自分を守るように原因の帰属を行う
*14:自分のせい
*15:いつも
*16:なんでも
*17:自分にハンデを背負う