調性の崩壊にあるものは

結果は、少しずつ明らかになっているようである。それらについて書くのは、明日以降にします。

調性の崩壊にあるもの。
音列主義者*1は、「音楽とは音列に秘められた崇高ともいうべき論理性が自己顕現する軌跡なのだ」とそれは数学的で冷厳な真理かもしれない。
しかし現実という支えを持たないのも確かなのである。
調性から12音技法*2を捉えると、それは、普遍から個への徹底的な展開となる。
調性を越える道は一般性を失い、個人個人の小径へ分け入るプロセスとなった。共通の文法が必要となる。ところが個々人が自分自身の文法を、持つことになると、言語としての共通基盤が危うくなり、表現が成立しようもなくなる。その文法がいかに完璧で、論理的であるとしてもである。こうして音楽はひたすらシステム提案の場と化すことになる。19世紀末からの西洋音楽の激動の歴史は、普遍という楽園を追わせたこの壮大な失楽園の物語だった。(P187)


【アナリーゼで解き明かす 新 名曲が語る音楽史、以下同】

バルトークは、「無調音楽はにおいては、安定性と調和の合うメロディ展開をというものを判断する上で、言葉で指摘できる様な何の基準もなければ、適用する規則もなく、作曲家にとっても聴感にとっても、すべてがただ自身の直感あるいは本能といったものに委ねられている(P180)

調性というシステムの特徴はどこにあるのか。ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シの音階を想定すると、音楽のメロディは、これらの音の規定である。つまりメロディにでてくる「音」とその「性格」が音階によって決定される。そして(中略)3和音(3つの音が重なり響く)が形成され、ハーモニーの基礎ができあがる。音楽の文脈を明晰にし、さらに色彩と表現を盛り込んでいくことによって、音楽を生きた言語とするのである。
また和音の変化それ自体が、音楽の運動と推進力の源となる。
音階に含まれない音は、緊張を、色彩を、あるいはある種の不安定の要素を。水平磁区と垂直軸が一体となってシステムとして機能することになる。*3(P174)

書名を、忘れてしまったので、それらは、明日以降に書いて参ります。

前衛音楽は、極めて論理的であるものの、普遍性がないために、受け入れられなかったことを示す文証です。これが、デファクト・スタンダードになれば、ある意味では普遍的であるのかも知れません。しかし、この手法は、安らぎや明るさ・喜びが表現できません。アイディア・構成はいいものであるから、それを、生かして換骨奪胎して用いたら、新たな可能性が見えるのかも知れません。



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*1:1オクターヴ12音を均等に使う、具体的には1度登場したら他の11の半音がすべて1度登場するまでは使えわずに、12の半音を均等に使い、メロディを作るやり方

*2:1オクターヴ12音を均等に使う、具体的には1度登場したら他の11の半音がすべて1度登場するまでは使えない

*3:結果的に、きわめて強靱かつ柔軟であり、完璧なシステムである