思索の記録 2010.1.28

見事に、ベストの状態が維持できなかった。
13時間稼働。今もほぼ断眠だ。そうしないとできないことが、多いからだ。
あえて、今日は、無理をしよう。


昨日の続きとも言えることから言えば、連帯を生み出す場は、目の前にある現実そのもの。
去年の秋から、時間の制約で動けなくなってきて久しい。端から見て、動き始めたら止まらない反面、基本的には腰が重い。web上も、現実の1つの現れと感じることもあるが、あくまでそれだけに過ぎない。
動けない環境になることを祈るとその通りになると聞いたことがある。生きるためにとはいえ、結果的にそれは現実のものとなった。時間を作る暇がなければ、時間があっても意味がないことは、私の学生時代が証明している。周りが見えていないこととも無関係ではないと思う。


読書は、好きなものの、読むモチベーションすら落ちていることが多い。目の前しか見えていないことと連動して、何を読んでも感じない状態になっているのだろう。


そうした読書の姿勢に、この2-3日、気づかされたことが多かった。
新・人間革命の学光の章を読んでいてそう思ったのだ。
最後の方の言葉を引用せず、自分の言葉で書くとそれは、一生学び抜くことが、人間らしく生きること。
小学校の低学年の頃から、学会の書跡を読んでいて、教育について池田先生が語られていた本も読んでいた。あの頃、読んでも見落としていたことに気づかされたのだ。
ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代」で理想の教育のあり方について書かれているし、フランスの文豪ヴィクトル・ユゴーもそうであった。
ベートーヴェンも、晩年、「第九」やミサ・ソレムニスを書いていた頃に、ヘンデルから多くを学び、晩年の超大作を作り上げた。
結局は、思索無き読書は、意味がない。ドイツの哲人ショーペンハウエル創価3代の会長が、述べられていたことを、身を以てようやく実感したのだ。

今するべきことは、目の前しか見えなくなる原因を無くしていくこと。仕事にしてもそう、それをクリアすれば、
怠情にしか周りには見えない状態も、打ち破っているだろうと確信して、これから書籍・CDを手に入れ、祈り思索をしていく。



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