試論 祈り・瞑想を科学的に捉えると

最近、外道から逆説的な文証・理証をということで、目を引いた瞑想に関する本を数冊手に取った。
自身の身体は御本尊と一体である、【 第三唯以一大事因縁の事 】より、私たちの【頭は妙】 【喉は法】【胸は蓮】 【腹は華】 【足は経】を、様々な体系で試みられていること、そして逆説的に、シンプルかつその合理性を知ることができた。
今の脳科学では、人は死ぬとき(特に大脳)、脳が最も活性化され様々な脳内物質が飛び交うこと。実際に、多くの臨死体験は、それ故に普通なら幻覚・幻聴ととしか言いようのないような超越的な体験になっていることと、それを裏付けるかのように、多量のドーパミンが出ている。チベット死者の書、究竟次第、大究竟ではそうしたことをセクシャルな要素をはらみながら瞑想する内容ともいえる。秘教にそういった要素が古今東西関係なくあるのは、そうした行為に走ると、ドーパミンやβ-エンドルフィンがでるからでるからだ。トランス状態に入るために毒キノコや薬物を用いるのもこのため、ただ毒=薬ですると、多量接種で脳を破壊する。ナイアシン大量摂取でセロトニン・ハイにするのとは違い副作用がある。
科学的に言えば、自他ともに悪影響なく、βエンドルフィン・ドーパミンセロトニンが活性化され、脳波で言えば、δ波・θ波・α波・β波が安定して出て、暴走しない程度にγ波が出る所為が最も正しいことなのだと考える。
空を量子科学的に数値化する動きもあって、文章を見る限り、哲学の世界でいうところの絶対知とイコールになっている。数値化すると虚無の数であり、無限大である。
また、こうした知見は、睡眠の質向上に生かした。実際に、質は上がり、疲労回復が早くなった。