Erich Wolfgang Korngold

その生涯は、Wikipediaを。
若き頃、モーツァルトの再来と言われる神童だった。
具体的には、wikipediaからの引用がほとんど。
9歳の時に作曲したカンタータを聴いたマーラーは、「天才だ!」と叫び、11歳の時に作曲してツェムリンスキーがオーケストレーションを手伝ったバレエ音楽『雪だるま』(Der Schneemann)はウィーン宮廷歌劇場で皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の御前演奏として初演され、万雷の拍手をもって迎えられた。また、この頃の、マーラーの賞賛からツェムリンスキーに師事。わずか、1年半で、「もう教えることはない」と卒業している。シェーンベルクと比べても負けじと劣らない速さで吸収していたことに驚く。
その後も快進撃は続き、12歳で書いた『ピアノ・ソナタ第1番』はリヒャルト・シュトラウスに戦慄と恐怖を与え、名ピアニスト、シュナーベルは13歳の作品『ピアノ・ソナタ第2番』をヨーロッパ中に紹介し、ベルリン・フィルの大指揮者ニキシュは14歳のコルンゴルトに『劇的序曲』を委嘱する。
16〜18歳で書いたオペラ、『ポリクラテスの指環』(Der Ring des Polykrates)、『ヴィオランタ』(Violanta)はプッチーニの絶賛を受け、この成功によってオペラ作曲家としての地位を確立し、1920年、オペラ『死の都』(Die tote Stadt)の大成功によって、23歳にしてオペラ作曲家としての世界的評価を確立する。
この頃、オペラ作家としては、R.シュトラウスプッチーニ、そして上演回数で、R.シュトラウスと争った、シュレーカーと同じく世界のトップになった。


その作品は、非機能的かつきわめて色彩的な和声進行や2度、4度、5度を積み重ねたほとんど複調的な響きの充満によって著しく表現主義的な傾向がありながらも、基本はあくまで末期ロマン派のテイスト。そうした和音の中で、息の長いメロディーで勝負する人であった。それ故に、時代の変化に取り残され、第二次世界大戦後批評家は目もくれず、一方では聴衆から支持を得た理由だと思っている。三枝成彰と言った方なら、知より情に訴えかける音楽の典型例として挙げそうな気がしてくる。私から見ると、新ウィーン楽派ほど知を前面に出していないこととメロディのわかりやすさから、知より美しさからくる情に訴えかけるだけで、そこには、あまりにも緻密な知性なしには生み出されなかったものであり、メロディこそ情に訴えかけるが、それ以外は知に訴えかける作品だと思っている。私が聴きたいと思っているのは、コルンゴルト自身が最高傑作と語っていた歌劇「カトリーンの奇跡」映画『霧の中の戦慄』に近い和声語法で作られた「交響曲嬰ヘ調」、オペラを除く純音楽で最も有名であり、最高傑作ともいわれる「ヴァイオリン協奏曲」を今回ピックアップ。和声、対位法、転調、オーケストレーション、どれをとっても完璧で 、しかも独創的で生き生きしたイマジネーション溢れるメロディに満ちている。「シェーンベルクが開拓した和声」と「保守的な音楽の生み出す霊感」を統合させた作品こそがコルンゴルトの真骨頂。またツェムリンスキー、シュレーカー、レーガー、無調以前の新ウィーン楽派が理想としたものではないだろうか。響きが最も豊かで多彩なのが、シュレーカー、最もメロディアスなのがコルンゴルト、といったところだろうか。ツェムリンスキーの最も表現主義的なオペラ「カンダウレス王」も聴く必要がありそうだ。なぜなら、コルンゴルト、シュレーカー、レーガーと同様に、シェーンベルクと共に成長し、結果的に、あえて調性にとどまることを決め、コルンゴルト、シュレーカーにはない、力強さ、誠実さ、真実のもの、正直なものであるという主旨の発言が、指揮者のゲルト・アルブレヒトがしていたからである。

交響曲嬰ヘ調

ERiCH WOLFGANG KORNGOLD Sinfonie Fs 1.Moderato ma energico

ERiCH WOLFGANG KORNGOLD Sinfonie Fs 2.Scherzo. Allegro molto - Trio. molto meno (tranquillo)

ERiCH WOLFGANG KORNGOLD Sinfonie Fs 3.Adagio. Lento

ERiCH WOLFGANG KORNGOLD Sinfonie Fs Finale.Allegro

ヴァイオリン協奏曲。世紀末ウィーンの残り香を漂わせた、濃密で抒情的な音楽語法で作曲されており、洗練された管弦楽法も発揮されている。

Heifetz plays Korngold Violin Concerto in D 1.Moderato nobile

Heifetz plays Korngold Violin Concerto in D 2.Romanze

Heifetz plays Korngold Violin Concerto in D 3.Allegro assai vivace

また、コルンゴルトを調べていて印象に残ったサイトがある。
私とコルンゴルト
ヴァイオリン協奏曲の初演を務めた時津英裕のサイトの言葉。

日本の音楽ファンのレベルの低さには呆れてしまう。評論家気取りの馬鹿な音楽ファンの書き殴りには、あまりのお粗末さに笑いをこらえきれない。評論家気取りは救いようのない馬鹿だが、元々の日本の評論家たちも馬鹿揃いだから始末が悪い。偉そうなことを書いている連中は多いが、所詮、海外で評価を受けないと何もわからない、権威に弱い日本を象徴する馬鹿揃いである。結局、西洋音楽は日本に根付くことは永遠に無いだろう。持っているCDの枚数だけが誇りで頭は空っぽの馬鹿が低レベルな論争を繰り広げている。どんなに知識が有っても、音楽は感性の世界。曲を聴いて「感じる」、「心が動く」、こんな経験を一度もした事も無いような知識しか無い感性ゼロの馬鹿どもが、日本の音楽ファンの実態である。日本の音楽ファンは世界中に醜態をさらしている事を自覚するべきであり、海外からは、日本は金づる以上には見られておらず、嘲笑の目で見られている事を自覚し、知識しか無い感性のかけらも無い馬鹿音楽ファンは、身の程をわきまえるべきである。

自分の感性に自信を持って聴けと言われているような思いである。私の場合、錚々たる曲・録音が多かった理由は、傑作・名演を調べ上げてから聴いていたからだ。そしてどこに感動し、どこが美しく、何が素晴らしいかを考えながら感じ取っていたのだ。今でこそ、ロシア黄金期、世紀末ウィーン、中世時代のB級作品ばかり聴いているが、それでいいではないか、王道の中の王道の良さ、素晴らしさを知っているのであれば、卑屈になる必要はないのだ。そして不当に忘れさられた世界の中に、新たな息吹があることを確信するのだ。


P.S.
スターウォーズのファンファーレの原型は、コルンゴルトが手掛けたキングズ ロウだった。

starwars vs kings row