なぜ、「自分のこと」を書くのか、自問編

過去見てきた炎上の中で、またWEBをキッカケにお会いし、その後不都合が生じたので、過去の記事を削除いただきたいと、ブログの管理人にコメントをして、そのブログの管理人が断り、モメた。そんな情報を耳にする。

「個人情報」がことにあがることもある。私自身、ブログがキッカケととなって、違う形態のSNSでもお世話になっている方がいる。私自身は、その方からは、指導に近いことを受けたこともあり、非常に感謝している。その違う形態のSNSでのできことになるのだけど、本当に情報の玉突きで、そのブログの方のブログ友だちの実名が分かってしまったということがある。きっかけは、ブログとその違う形態のSNSと、呼び方が同じために、特定できてしまったというパターンである。私自身は、知りたくなかったのだけど、かつて内部アンチのログをとってこのブログをログの保存子にしていた時代の名残だと思うのだけど、この手のものは、一度見るとなぜか頭から抜けない体質らしく、忘却できなかったり。
これに、近いパターンは、私が時折顔を出す「さまよえるクラヲタ人」というブログがある。この方は、私自身が寝ていたため、観ずに終わった佐村河内守特集の「ただイマ」に出演されていたのであるが、放送後の一人のコメントで、実名が流失。これも、当然記憶してしまった。知りたくもないのに。コメントは、管理人が後に修正を掛けたのだけど、タイムラグで知ってしまったというパターン。嫌なことに、こういうのは、一瞬で私は長期記憶にいっているのか記憶が抜けないようなのだ。
私は、やんわり故郷を特定できるワードも混ぜたりするのだけど、こういうことの方が、確実に特定できるという点で、タチが悪い。

さて、炎上は、意見の食い違い、「信頼関係」で起こることもある。
というよりも、それで起きていることが、今生きている一人一人が思っているよりも、多いかもしれない。
なぜ、「自分のこと」を書きたいのか。問題点は、そこでは。その根っこを自ら考えない限り、誰が何を言おうと、意味はないだろう。という言葉に、ハッとさせられる思いだ。この3行は、ニュアンスを変えないように、あるブログから言葉を頂いた。正直怒らせているかもしれない。

了承を飛ばして、記事を書いているため、苦言があれば、コメントをお寄せ下さい。