iさんと交わしたやりとりを振り返ってみて、今なすべきこと

最も最初ではないが、親交を深めたきっかけのやり取りは、軽騎兵である。音談から入るのも、実に私らしい。

細かい経緯は、当然異なるが、読めば読むほどこれは、いつか私が陥る姿ではないだろうか。そうした共感のもと、やり取りは続いていた。そして3.11の頃、更新は一切途絶えた。そして、私も、1日で18時間以上働くことが常態化し、私自身、更新をほとんどしていない。本質的に、書きたくてどうしようもなかった人間が、更新した数、わずか8回。時間があれば、眺めていた。そして、1年と数か月後、戻ってきた。引越の関係で、3ヶ月ほどの中断があった記憶がある。

この頃は、お互い、精神的に次第に良くなっていく時期で、頻繁に交わしていたと記憶する。その内に、賑やかにもなり、コメントは、あえて最小限にしていた。何故そうしたかと言えば、似た者同士、いきなり暗転することを警戒していたからだ。書いていない時、もの凄く心配していた経緯もあり、一度だけ、感情を解放もしている。


今年に入り、何度かメールを交わした。
それは、会わないかというものだった。
この時、一計を案じた。
それは、邂逅をするのに最適なタイミングかということ。
私は、信心指導をする様な力はない。青年教学2級でストップしていることもある。また14-5歳年が離れていると言うこともあるので、苦言を言うのは気が引ける。そして、私の場合、文章でのやり取り以上に、電話や実際に会ってのコミュニケーションは、疎通が図りにくいという背景がある。硬直すればするほど、対手の目を合わせがたい、会話が止まる、場違いかつ相手の火に油を注ぐような苦笑や自分の頭をボリボリ掻く癖等、相手を刺激しないか等々。だから会う時は、コチラから交わすのは、佐村河内作品で語り合い、シェアし合うことに特化しようと心に決めていた。
結局この時は、赴く当日になって、iさんご自身の体調不良でキャンセルとなった。
その後、私自身、音源を揃えたい、それまでに会うのは失礼に思えた。ピアノ作品も、2013年10月リリースというわけで、その間に揃えられるものは、ほぼ全て揃えるに至った。

その矢先に、例の事態になり、凍結を決めた。
今思えば、ということで、後知恵バイアスはぬぐえないのであるが、事件は少しずつ起きていく。
最初は、スターウォーズで意見が割れた時のこと。
私自身、自分の言葉で語れていないと言う突っ込みはありとして、突如怒って記事を書いたと言うことがあった。
CGやワイプのクオリティの高さは、一切否定していなかったにも関わらずである。
私が、私が引いたジブリの方々の言葉、根本を言えば、多角的な視野で観たいがためであった。

思い返せば、去年の9月も、京阪さん、閉鎖した希望の春関連で、プチ炎上していた。

今年の6月、本来であれば、この時点で指摘しなければならなかったと後悔していることが起こった。
職場にて
ここに誘導されることが増えたからである。
カント哲学
ヘーゲル哲学


そして7月、
癒えることのない傷を背負いながら
ノータイトル
あー勘違い、あー勘違い
上記の2つの記事に答えない、違和感を覚えながらも、それこそ、異なる考えを弁証法的にしようとするとしていて返信をしなかった。
そして、未だ未生怨の怒りが吹き上がった、そんな一コマだ。

そして、iさんは、久遠某というHNの脱会したアンチに粘着を受けるようになっていく。
久遠某はiさんのブログ友だちであった、村瀬さんにも粘着するようになったため、彼が村瀬さんが変わらなければと言い彼のブログから村瀬さんのリンクが切れ、村瀬さんも限界が来たからか、姿を消した。この間に、村瀬さんのブログ友だち1人を久遠某は手玉に取ることに成功。また、村瀬さんは、創価カラーを完全に消して、違うブログを立ち上げていると言った、風の便りも耳にした。

そしてその延長線上で、あの決定的な亀裂・分断に至るあの事件が起きたのであるが、時を一部同じくしてこちらにも再び未生怨の怒りが膨れ上がった。
ここ数日の様子
ここで、感傷に浸っているのはあえて否定しないとして、斧節の転落に止めをさしたと言ってもいいクリシュナムルティ関連で思索の断片を書いた。また、度々、佐村河内守氏に触れていたため、楽曲を聴いてどう感じたかに関心があったので、時折ウォッチをしていた。
そして、また膠着状態に陥るのは、コチラとしても精神的に病んでくる。また、亀裂を深めるのを避けたかったので、相手の視点を変えようと試みた。実際に、身の回りのことで慌ただしくなってきた頃でもあったので、こう続けた。
一時休止
再開にあたり
斧節からの卒業
この最後のリンクを読んで、ここ数日の様子の終盤2つのレスを見て頂きたい。これが、私とiさんで、意見交換を無事終えた最後のやり取りとなる。
この時は、何度も書いている通り、小野さんからなにされてもぶれなければいい、そして小野さんからの手を離れていることにiさんに気付いてもらえればいい。これがいわば私が決めた勝利条件であった。
そして並行して起きていたあの事件で、私は、双方に喧嘩両成敗の想いを込めて、覚悟、報いを受ける時等と綴った。
最初は、かなりiさんよりな発言から始めていった。その後、話を広げた段階から双方ともに馬鹿らしいと思っていった。何よりも、あるご婦人への発言から私の心は、冷えに冷え切った。相手への慈悲と述べてはいるが、その内実はただただ怒りをぶつけているだけに過ぎなくなっていった。この辺の私の変遷も、この世界に参加するキッカケをつくった6年前の沖浦某による創価系BBS総炎上と、そうは変わらないように思えてくる。心理学の理論を、自分の良いように曲解しているようにしか私には見えなかった。具体的には、アサ―ティヴに関することには、あいた口がふさがらなかった。途中の説明が全くハズレとは言わない。しかし、していることは、怒りをそのままぶつけていることに等しい。
それ以降、SOSということで、落ち着いて向き合えるようになるまでに、何人かの方々とやり取りを交わした。
当事者でもある、今年の7月以降、断続的にやり取りを重ねていた方からは、真剣に読まなくてもと、7月から何度も言葉を頂いていたのであるが、それでも読み続けていた。
その後、10月も、後半に差し掛かる前後で、iさんをよく知るであろうHさんとコンタクトを取ってみた。今までもその人柄は決して否定するものではないので、あるが、ネットで求めているもの違いに気づき続けるか悩んでいたところに体調不良が来てストップせざるを得なかった。なお、私は、Hさんの傾聴力は、今でも見習わければならないと思っている。
そして、この頃までは、iさんの怒りを受け止められない自分自身に、不甲斐なさを覚えていたことをここに綴る。
その後、大河さん自身、違和感を感じていた、教学の曲解を読み解いていき、書いた記事が以下、
自分が他者から「否定」されるということ・・・
ひとさまを「外道」と、ののしる方の「内外相対」観

この流れを、鑑みた上で、私自身、彼が内在している未生怨の怒りを克服しないかがり、会って音談することは、謗法与同罪、詐親すべからずとの考えで、氏へのコメントは、乗り越える時が来るまで控えようと思う。
そして、彼らがそれらを乗り越え、気付いて行けるような発信を、お願いしたい。その祈りも、お願いしたい。
これが、少し前まで親しくやりとりを交わした私からのiさんへの報恩の想いを込めてできることのすべてだろうと思う。