Bruckner Symphonie NR.9 d-moll WAB109 そしてこの日亡くなられたマエストロ クラウディオ・アッバード逝去に贈る

ブルックナー交響曲第9番。この曲は、ブルックナーの未完のトルソーに終わってしまった作品である。ただし、第3楽章までで完成された印象を与える作品でもあり、最終楽章の認知はこれからだと思う。その未完のトルソーを、含めても含めなくても、交響曲史上、最高傑作の一つに称えられるに相応しい作品の一つ。個人的には、モーツァルト交響曲第41番。この曲は最も模倣されなかった作品なので必然的にあげざるを得ない。そしてべートーヴェンの第9、マーラー交響曲第10番未完ゆえ嫌いであれば第9を。20世紀作品だとシェーンベルク室内交響曲第1番、シュレーカー室内交響曲シベリウス交響曲第8番、ショスタコーヴィチ第14,15番。そして人の心の闇を、表現主義と異なるアプローチで突き抜けたという点からアラン・ペッテション。


楽章解説はwikiより

第1楽章
Feierlich, misterioso(荘重に、神秘的に)
ニ短調、2分の2拍子。再現部の第1主題部と展開部が融合した自由なソナタ形式ソナタ形式の展開部と再現部を入れ子にするブルックナーの傾向は、この楽章において完全に具現化されている。この楽章の形式について作曲家のロバート・シンプソンは、「陳述、反対陳述、そして帰結」と言い表している。冒頭のブルックナー開始に於いて空虚5度で始まる方法は、ベートーヴェンの第九と同様の手法を取ったとも考えられる。
空虚5度(ニ・イ)のブルックナー開始で始まった後に提示される第1主題は瞑想的な音楽で8つの動機によって形成され、第63小節からの第7動機で圧倒的な頂点を作る。調性は不安定で無調も存在する。なおこの後全曲に出てくる全ての動機はこれらの変形による。
第2主題は97小節から始まり、イ長調の人間的で慈愛に満ちた響きの基、ポリフォニーの展開を続ける。ここでも旋律は半音階的で2小節で12音全て使い切る部分もあり、調性は不安定である。123、141小節にハ長調の動機が突如として現れる。
第3主題はニ短調、154小節に主音と属音だけで構成された動機がオーボエに現れ、それを弦楽が転回系で応えるというものである。クライマックスの後穏やかなヘ長調となり提示部を終える。
展開部では第1主題の動機が拡大して展開し再び第7動機で頂点を迎える。このときには弦の激しい音階を伴い3回繰り替えされ、続いて355小節から後の新ウィーン楽派さえ想起させる斬新でポリフォニックな行進曲が続く。休止の後、今度は400小節から第7動機が憐れみを請うかのように提示されるがこれも短い。
再現部では展開部のほとんどが第1主題によるためか第2、第3主題のみとなり、これらもかなりの変形を受け、大変不協和なクライマックスの後、ワーグナー風の葬送コラールが現れる。
コーダ付近で交響曲第7番第1楽章からのパッセージが引用され、また、第1主題の動機が執拗に繰り返される。最終ページにおいては i(ニ) で持続する低音声部に重ねて、2度のナポリ六度の和音(ト-変ロ-変ホ)が使われ、i度に対して軋るような不協和音を生じさせている。しかしそれも短く、最後には不協和音を振り切った全合奏によって中世の教会音楽の響きを連想させる空虚五度(ニ・イ)によってニ短調の要素がなくなり、ニ調により決然と終わる。

第2楽章
Scherzo. Bewegt, lebhaft - Trio. Schnell(スケルツォ。軽く、快活に - トリオ、急速に)
ニ短調、4分の3拍子のスケルツォ。形式は複合三部形式。このデーモニッシュなスケルツォの開始和音はトリスタン和音を移調したもので、主調であるニ短調についても調的に曖昧なところがある。ブルックナーの他のスケルツォ楽章に比べ、民族的な要素はわずかな部分でしかない。
開始から42小節間の間はトリスタン和音の変形と分散により浮遊感を漂わせる。表現主義的なオーケストレーションのもと、ニ短調嬰ハ短調が対比的に扱われる。43小節からは突如として暴力的なトゥッティとなり聴衆を驚かせる。それはさらに線的書法へと変形し、頂点を迎える。そのあと115小節からオーボエの愛らしい主題が登場する。これは民謡風の明るいものだが、せわしなくなり再び暴力的な主題が現れてコーダに向かう。
トリオは遠隔調の嬰ヘ長調が使われ、トリオとしては異例の速さがとられている(ブルックナー作品にしては珍しい)。ロバート・シンプソンはこの箇所におぞましさを見出し、ブルックナーが偽善的な個々人の振る舞いを書きとめていると標題的に解釈した。舞踊風の主題と、エレジーロンド形式を織り成す。

第3楽章
Adagio. Langsam, feierlich(アダージョ。遅く、荘重に)
ホ長調、4分の4拍子。抒情的な静けさと畏怖の念をもつ音楽。コーダは自作の《交響曲第7番》を暗示している。形式は変奏曲とも、または再現部と展開部の融合したソナタ形式とも取れる自由なものである。
冒頭第1ヴァイオリンが9度上昇しつつ、旋律はブルックナー交響曲第7番などに用いた上昇音階に変容する。第9小節から第16小節にかけて高揚し、第17小節からはフォルティッシモの超越的な頂点に達する。静まるとすぐに第29小節からはワーグナーチューバに荘厳なコラール風の主題が挿入される。第1楽章第1主題を暗示したこの主題をブルックナーは「生との訣別」と呼んだ。ここまでが第1主題部と考えられる。
続く第2主題は第45小節から変イ長調、弦楽に現れる。木管に受け継がれながらも第57小節からは変ト長調の新たな主題に発展する。やがてホルンの動機を加えつつ、最終的にはワーグナーチューバが不協和音を奏でフルートがコーダに登場する伴奏音形を予告する形で総休止となる。
展開部においては幾分自由な主題展開を見せるが第199小節にくるこの部分最後の音楽はロ短調フォルティッシッシモの大変不協和なクライマックスとなり結尾和音では属13の完全和音となる。
コーダは第207小節から始まり調性は穏やかにホ長調へと収束していく。前述の通り第7交響曲の冒頭主題や第8交響曲アダージョ主題をワーグナーチューバで回想し静かに楽章を終える。

第4楽章(未完成)
ブルックナー自身による速度、発想表記はない。以下に代表的な補筆完成版のものを挙げる。
Misterioso, nicht schnell(SMPC・コールス版)
Bewegt, doch nicht zu schnell(サマーレ・マッツーカ版)
Allegro moderato(キャラガン版)
ニ短調、2分の2拍子。複雑なソナタ形式。現存するスケッチによると、複雑な和音による序奏、副付点音符による激しい第1主題の後に穏やかな第2主題、第1楽章のコラールが明るい形で現れたホルンによる第3主題と続く。テ・デウムの基本音形に導かれて展開部が始まり、再現部は第1主題が複雑な二重フーガとなって高揚していく。このようなフーガを用いた手法は第5交響曲の終曲に似ている。第2主題を経て上記のように第3主題部(テ・デウムの基本音形と組み合わされる…後記)まで来た所で自筆譜は途切れている。コーダの前には他の交響曲のように第一楽章の第一主題の再現が来るが版によってはないものもある。コーダもいろいろな形があり第一楽章と第四楽章の主要主題を組み合わせたものが一般的である。

この作品では、マーラーが好んで用いた自作品からの引用が数多くみられる。
第1楽章の終わりでは、交響曲第7番冒頭主題と第3楽章の終わりでは、8番のアダージョの第一主題が引用されている。
フィナーレでは、交響曲第8番第2楽章トリオでのアレルヤ音型、テ・デウム音型、ブルックナー自作のミサ曲からも引用されている。
また、SMPC・コールス版では、最後の完成曲ヘルゴラントの終結部も引用されている。ただし、これは完全な補筆。また、神々しい行進曲風のところでは、ヘルゴラントで聴かれる響きが頻発していることを綴ろうと思う。
また、ヴァーグナーから「ニーベルングの指輪」ジークフリートの動機が第3楽章で聴こえてくる。また第3楽章の冒頭は、ヴァーグナートリスタンとイゾルデ」第1幕への前奏曲冒頭をそのまま二短調に移調している。その響きは、ドビュッシー「牧神の午後の前奏曲」にも近接している。
また、第2楽章では、後のストラヴィンスキー春の祭典」を彷彿とさせるオーケストレーションが施されている、ブルックナー史上最も色彩的な曲。
この曲を、クラウディオ・アッバードに贈ると書いた理由は、第3楽章で奏でられる第1楽章第1主題を暗示したワーグナーチューバで奏でらえる荘厳なコラール風の主題を、ブルックナー自身が、「生への告別」と述べたエピソードから。私自身、亡くなったらかけてほしい曲のTOPに挙げる作品のひとつであるから。


宇宙の鳴動を思わせる第1楽章、第2楽章それぞれの第1主題、慈愛に満ちた第1楽章第2主題、第3楽章、そして未完のトルソーの終盤は、心を震わさずにはいられない。またこのスケルツォに比肩する作品は、シェーンベルク、シュレーカーの室内交響曲該当セクションと、ベートーヴェン弦楽四重奏曲第14番以外思いつかない。

今回は、第3楽章を歌わせたら1番なジュリーニ指揮ヴィーンフィルで。

42分19秒から第3楽章。
youtube上だと、ドホナーニ指揮クリ―ヴランド管弦楽団の演奏がクオリティ高し。ただ、非常に快速かつ随所で著しい緩急が付いているので、好きになれない人が多いかもしれない。しかし指揮者とオケの実力が本物であることは間違いないと思う。