2011.3.11から3年

あれから3年。
2011.3.11 前年秋から深夜から早朝週6でシフトに入り、次第に心身のバランスが壊れた頃。
この頃は、1日18時間シフトが常態化した頃。
中々コメントも返せなくなり、更新もできなくなった。更新数僅か5日。
翌年2012年で見ても、前の職場を飛び出す前の更新数は、6日という状態。当時を思い出せば無理して書いたのが手に取るように思い出せる。それでも書こうとしたのは、やんわり毒吐きのニュアンスがあったことも忘れてはいけないか。好きな曲を聞いたり、こうして綴ることでしか、周りにぶつけずにいることができなかったから。今もあまり変わっていないかもしれない。

その頃書いたのが、
東日本大震災に思う

一年後に書いたのが、
3.11から1年過ぎたり。2012.3.16. 今私のいる場所は、希望と絶望の狭間

そして去年書いたのが、
3.11に贈る調べ


2011.3.11
13時からシフトに入り、店の厨房であの時間を迎えた。
物が破損したらいけないと思って危険を顧みず、落ちてくるものを支えた記憶がある。
相方も似たような頓珍漢なことをしていたと記憶する。

オーナーもパニックの中90分後に到着。
急遽22時に終え、翌日は8時から夕方にまで仕事、その後夜中から朝10時まで仕事していたのだろうか。
輪番停電、一人でいる時の店内の警報音と、真っ暗闇が怖かった。また疲れた記憶がある。その前後は、大急ぎでその対応と後片付けに追われていたからなおの事。斧節を、毎日見ることは輪番停電を最後に無くなった。
物資も、流通網が乱れた関係で、1ヶ月近く混乱していたと記憶する。
その頃、私が好んで聞いていたのはこの作品。


この頃は、20kHz以上の倍音が多い作品であれば、気持ちが落ち着きやすくなるかなと思い聴いていたのだけど、逆効果であった。CDだと可聴帯域以外はカットされるのと、一部のマイクを除いて20kHz以上は録れない。また、モーツァルトの特徴として、5kHz付近の比重が高くて、それが良いらしいとするものを、去年の暮れに見た。私の好きな女性ボーカルは、声が非常に丸くて、4kHzから上の周波数が丸々抜けていると言う場合が多かったので、この理論が正しいとすると、木管アンサンブルや、ピアノと管楽器のための五重奏曲 変ホ長調 K.452辺りがベストチョイスかもしれない。個人的な感覚で言うと、こちらの方が納得できる点は多い。
よって、間違いだらけの選曲をしたのは確か。
また、この曲は屈託のない明るさの中に、和音で言うとドミナントが機能していないような、陰りがある。弦楽四重奏曲第3番 ハ長調 K.515は、冒頭からチェロがため息のフレーズを奏でるし、その陰りが、アインシュタインが「運命を孕んでいる」と評した理由であるとも思う。
そして、そして仙台や福島にある2つの原発東京湾三陸沖で津波と炎上で消えゆく街並みで胸が痛くなったのがトドメと言えるかもしれない。
第2楽章の美しいメロディのギャップ、第3楽章のフモールに満ちた諧謔さが胸に刺さる。後半チェロがとりわけ意味深目なメロディを奏であるのがその印象を強めた。全曲を聴いても、その屈託のない明るさが、砂上の楼閣の如く、あまりにも儚く聞こえてくる。この屈託のない無邪気ささえ感じる陽光のような明るさの中で、悲しみは駆け巡ると言うイメージが出来上がったのは、3.11と当時の生活から来ているかもしれない。

原発報道を見ながら、脳内再生をよくしていたのは、この曲だ。

ひんやりとした空気と相まって、レクイエムと私の中では当時化していたのだと思う。

被災者の方の中で、佐村河内守プロデュース新垣隆 交響曲第1番「現代典礼」第1楽章冒頭を聴いて、大震災の時の不気味な地鳴りを思い出すという方をWEB上で見かけたが、その思いは今も変わらない。

身内は、その日この曲を聴くと聴くたびに余震が起きていたらしい。タイミングは、かなり多くは第7部が始まる2分2秒とのこと。この映像は実際にその時に聴いていたもの。

これが、私の中の3.11の記憶。
人の数だけあると思う。肉親、友人を亡くされた方もいると思う。
人命が亡くなる中で、なんで生きているのか考えたこと、周囲のパニックに振り回されたことを思い出す。
そういった中で、数えきれないくらいの悲劇は同時進行で起きていた。
何も私はできていないのであるが、あの時起きたことは忘れないで、そうした方々の分まで、生きなければならないなと改めて思う。