護られていると感じた一日 私は決して一人ではない、いや孤独ではないというべきか

この日、とにかくメンタル面がひどかった。
廃棄になった関係でコストを浮かせるために飲んだ午後の紅茶のカフェインの悪影響もあったのかもしれないが、出勤前に飲んだナイアシン1gが一切効かなかった。徐々に吸収されるタイプで、効き目が出始める時間のはずであるが、空振りに終わった。
とにかく精神的に辛かった。そして勤務先を離れたのは、正午を回る頃。荒川土手のサイクリングルートを端折って帰宅する途中、偶然今年3.15までお世話になった敬愛してやまない元経営者に出会った。
いつもながらにこやかだ。もともとメールを一報わけあって送ってもらいたいとのことであったが、この現状を書くのが億劫で先延ばしにしていた。
もともと遭遇したいということもあり、祈っていたとのこと。いつもながら頭が下がる思いである。
i Phoneの時計を見ないでその時間を過ごしていたら2時間45分以上は、話していたことが判明。体感時間は30分。時計は予想より進んでいて1時間半くらいだろうと思っていた。ウラシマ効果恐るべしである。3.15以来腹の底から久しぶりに笑った。現状を話していた時のこと、涙腺が刺激されたことは忘れられない。
残留した黄金メンバーの崩壊振り、同調圧力の強さ等々。最悪のシミュレーション通りだったとのこと。いつもながら、その慧眼に頭が上がらない。
いくつか陰口を受けていることも判明した。お互いこの量で何故と当初考えたのだけど、回収したいもの同士だからか、という結論に行き着く。
去る前に渡したプレゼントに対して、快い返事を頂いた。
同時期に去った、20歳腐女子組は、今でも共に過ごす時間があるそうだ。
アルバイト仲間でありながら、あんなにも和気あいあいとしていた。きずなや結束の強さは、元経営者のお墨付きである。仲の良さは、素敵な泣き虫さんの手に渡った、雑談ノートを見てもわかるもの。リアルBBSといった感覚で、下ネタも相当飛び交っていて、見ていて思わず閉じたこともあったのだけど。それに合わせて声フェチをさらしたのは、当時同じ時を共有したメンバーとの秘密でもある。一回それで頭が真っ白になったことを書いてドン引かせてしまったのであるが、それも微笑ましい記憶の一つである。
3.15。あの日急きょ1時間早く出勤する可能性があったのだけど、その後3週間休みなしだったことを話して、皮肉にも護られたことも話した。
この1日後去ってしまった方から相当状況は把握できていたみたいだ。
その方も、聴き手になっていた人物は私だけであったらしい。実は、今の生活がつらいことは私自身言っていたのだけど、一方的になってはいないかという危惧は一応していた。これ自体が、成長の証なのかもしれない。何もかも壊れることは予想していて、もともと避雷針になるつもりでいた。一番この方から学びたかったものは、この時もそうであるが傾聴であるかもしれない。去る1週間前かな、フライング行為をして、一辺死ね当怒鳴り声を回りは覚えていて、党の私自身が忘れていたという話もした。この言葉でへこまなかったことはこの方を信じているあかしでもある一方、甘ったれの象徴でもあるんだろうなと憂いことも話しながら。この一連のやり取りは、こちらのメンタル面もあり、ループは非常に多かったのではないかと思う。
日曜こちらは休みだから、電話かけてもいいよとも。分かれた後の夜メールが来ていて、勤務先の常連のお客様から見て、一生懸命、いっぱいいっぱい頑張っていて余裕のなさから、辛さが顔に出ていて心配されていること、可哀想とのことが書かれていて、赤面して目頭が熱くなった。


信心指導にもなっていったのであるが、「何があっても護られる」と思うこと。ここには、そう思えるまで祈るという前提があることを忘れてはならない。
この日の夜、とりあえず、ナイアシンを飲まずに、落ち着いて過ごせたこと。黒船来航時のペリー提督の末裔の傾聴のエピソードを思い出したのは言うまでもない。

ここで綴った内容は、5月5日、6日の内容も便宜上入れたもの。