こういうのも「「現証のひとつ」なんでは?に対するアンチ・テーゼ

該当記事にコメント入れることも考えたが、見事に禁ワードで弾かれた。
ゆえに、こういう形で発信することを御了承願いたい。

さて、まずは意見の多様性を一切否定するものではない。しかし、もう少し静観して頂きたい。

私が、この世界に参加するきっかけともなった一連の己義騒動に関しては、申し訳ないのであるが、己義を改めることができない方は大なり小なりアンチに染まるのが常である。
私が彼を擁護する点は、間違いなく現実生活で戦っている同志であり、今でも現実生活で実証を着実に示していることがうかがわれること。彼の隠れ家でさりげなくね。
唯一の過ちは、出先で...以外に見当たらない。
これで現証と断定するには論拠がない、もしくは足りないと言わざるを得ない。
これからを見てごらん。双方の現実生活の変容を。各々が、それなりにオープンに書いているので、末路は厳然と現れると、私は確信してやまない者である。何人かは、祈っても祈っても空回りしているように思えてならないよ。
私も人一倍感受性は高い。WAiSの結果から言えば、今でも私は思春期の人間並みの感受性を持っていると言えるかもしれない。人からは基本的に理解されない、あたりまえのことができないつらさは人一倍味わったつもりである。各々内徳信仰にならざるを得ないこともあるであろう。私のいる地のように、組織腐敗があった場所もあるであろう。それでもなお、「元品の無明を対治する利剣は、信の一字なり」と信じ、できないなりに会合に参加するところから始めて。これは今の私の課題でもあるが、メンバーひとりひとりと苦楽を分かち合い、連帯していく。そして折伏。この2点は現状私が欠落していること。それでもなお、そこを目指して。会社でもどこでもそうだけど、理想は、皆がwin-winで共栄すること。3.15までお世話になった婦人部の経営者、日本一をたたき出した学生部時代の部・県がそういう組織でした。そして、先生の御書講義と人間革命を核に教学研鑽その上で、ゲーテファウスト」、宮沢賢治銀河鉄道の夜」、トルストイ戦争と平和」と言った、古典も学び、体験をもって読んでいかなくては。各々のペースでいいから、そう夢と希望と、御本尊様を忘れないでいれば、絶えず倦まざる努力をして。その人が人生の勝者であり、信心の王者なのだから。私は、できていないことばかりであるが、着実に進んで行く。