感覚過敏の意味がやっとわかった

Border of Mad 更新できなかった間の続きの一つ。
あれから1週間ほどしてようやく気づいた。
それは大切な仲間の異変に気付くために、護るために、そう思えてくる。
去年の春に、とことんかばう、護るという選択肢から派生して起こったところがある。

私は、広汎性発達障害の常でドーパミンセロトニン、β-エンドロフィン、オキシトシンといった類が人より数値がおそらく低い体質のはずである。
一般的に愛情ホルモンとして知られるオキシトシンであるが、一般的にはハグすることが有効とされている。
が、しかし、現実的にできる状況ではない。
親切、今できることは本当にこれだけである。
事実、仲間の方を軽くしたりするときに、何の苦痛も感じずにできているのは、このため。
護っているようで、護られているなと実感する。
今の状況の中で、少しずつ唱題に向き合えないか試みたり、それらが少しずつ形になりはじめている。
あと一息。