ゲーテの芸術観1

古典的なものを私は健全なものと呼び、ロマン的なものを病的と呼ぶ。(中略)新しい者の大部分は、新しいからロマン的なのではなく、弱々しく病的で、実際蝕まれているから、ロマン的なのだ。古いものは古いから古典的なのではなく、強く生き生きとして、快活で、健康だから、古典的なのである。そういう性質に従って、古典的なものとロマン的なものとを区別すれば、事は容易に明らかになるだろう。
(エーッカーマン「ゲーテとの対話」1829年4月2日、から)

音楽は最も良い意味で、比較的新奇を必要としない。否、むしろ、音楽は古ければ古いほど、人々がそれに慣れているほど、効果的である。   (「箴言省察」から)

芸術の品位は音楽においておそらく最も高貴に現れている。それは、音楽には取り除かれねばならないような素材がないからである。音楽は全く形式と内容だけで、その表現する一切のものを高め、気高くする。
(「箴言省察」から)

われわれのところでは、唱歌が教養の第1段階である。(中略、ここで具体例を引きながらそうすることで他のどんな方法よりも早く理解することを証明する)それゆえ、われわれはあらゆるものの中で音楽を教育の基本に選んだ。音楽からあらゆる方面へなめらかな道が通じているのであるから。
(「ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代」から)

ゲーテ格言集 高橋健二訳 (新潮文庫) P96-P119 芸術と文学について】

この意味でいえば、多くのクラシックとされる技術は、その健全さゆえにそういえると考えることができますね。20世紀の前衛音楽・実験音楽などは、その新奇さから病的な響きから一蹴しそうですね。キッカケを作ったリヒャルト・ワーグナーも同様ですね。ブルックナーは、終わり以外の和音などが、リヒャルト・ワーグナーの影響が強いのでそこは一蹴されるように思います。私が今回触れてきた楽曲の中で、強く、生き生きとしていて、快活で健康的な響きの楽曲は、モーツァルトハイドンはストライク・ゾーン、ベートーヴェン(人格は嫌ったものの、楽曲はとても尊敬していたといいます)はOKでJ.S.バッハはおそらくOKで、ブルックナーシベリウスはこの引用した文だけでは、多分アウトでしょうか。『音楽は全く形式と内容だけで、その表現する一切のものを高め』とは、まるで絶対音楽(表題を入れず、形式と内容だけでつくった楽曲、交響曲を始めとしたソナタやフーガなど)を指示していたことが伺えますね。表題をテーマにした音楽は標題音楽(交響詩やオペラ)といわれ、19世紀末に音楽論争になった話題でもあります。私は、どちらもいいけれど、音楽は表題の要素がなくても、強く、生き生きとしていて、快活で健康的かつ典雅な響きで、楽曲の論理的組み立てが整っていて、できれば簡潔であれば、それで良いのではと考えているのです。

ゲーテの格言集を読むと刺激になります。良い本により触れて参りたいものですね。



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