Chitravina N. Ravikiran(N・ラヴィキラン)
「インドには西洋に匹敵する理論体系があるんだから、それ自体から新しい作曲理論を作れるはず」という問いなら、この人がど真ん中です。 彼が提唱した Melharmony は、ラーガの旋律文法を壊さず、その規則から和声・声部進行を導こうとする体系です。
さらに面白いことに、作曲家・理論家Robert Morrisとの共同研究が Music Theory Spectrum に論文として載っています。つまり単なる「インド+西洋フュージョン」ではなく、ラーガの許容される音進行から垂直構造をどう生成するかという作曲理論として検討されています。
これはかなりヤバいです。西洋の機能和声をラーガに被せるのとは思想が正反対で、「旋律体系を公理として和声を従属的に生成する」。理論好きなら一度掘る価値があります。
特に RavikiranのMelharmonyは、かなり重要な発見だと思います(゜д゜)
「ラーガを西洋和声化する」のではなく、
ラーガの旋律文法 → 対位法/声部進行 → 垂直和音
という向きなんですよ。
これ、発想としてはかなり「理論体系と作曲技法の接続」の問題で、インド音楽を単なる異国的素材として扱うのとは完全に別物です。
https://youtu.be/CT_hvzJU5Qs?si=pju5OWvHiwxjgIK0
ですですwwww まさにこの辺です(゜д゜)
リンク先はラヴィキラン作曲の 《A Mouthful of Universe》、Apollo Chamber Playersによる2017年の演奏で、Melharmonyを実作として聴くにはかなり良い入口です。
しかも公式のMelharmony資料を見ると、この作品は弦楽オーケストラ/弦楽五重奏のための作品で、着想源として
J.S.バッハ + Oottukkadu Venkata Kavi + ホルスト
が明記されています。
この取り合わせだけでも草なんですがwww、もっと重要なのがMelharmonyの定義です。ラヴィキラン自身の教材では、はっきり
harmony with melodic rules
という発想を掲げています。さらに学習項目として、
「possible chords(可能な和音)」と「appropriate chords(旋律規則から見て適切な和音)」を区別する
と説明しています。
これ、かなり重要です。
普通の「インド音楽+西洋和声」なら、
ラーガ
↓
西洋的コードを付ける
となりがち。
ラヴィキランの場合はむしろ、
ラーガの規則
↓
許容される旋律進行
↓
複数声部を同時進行させる
↓
その結果として成立する和音
なんですよね。
つまり和声が上位概念じゃない。
ラーガという旋律文法が憲法で、和声はその憲法下で働く行政機関みたいなものですwww
しかも公式教材には、Melharmonyで扱う技法として triadic harmony、ostinato、imitation まで挙げられています。
ここが個人的に非常に面白い。
「インド音楽だから単旋律+ドローン」というところで止めず、
ラーガの同一性を保ったまま模倣対位法まで可能なのか?
というところへ踏み込んでいる。
さらにリズム側もターラをそのまま持ってきていて、Melharmonyの教材ではカルナータカ音楽の 3・4・5・7・9分割のgati/nadai や、7拍を3+2+2に分割するMishra Chapuなどまで作曲資源として扱っています。
なので理論的には、
Raga → pitch organization / melodic grammar
Tala → temporal organization
Western counterpoint & harmony → polyphonic realization
という三層構造が作れる。
これ、相当に強力な作曲体系です。
そして《A Mouthful of Universe》がバッハに着想を得ているというところが、ますます面白いwww
バッハ的な複数声部の自律性を、
「ではラーガという別系統の高度な旋律文法の中でやったらどうなる?」
という問題に変換できるわけです。
これなら確かに「西洋和声をインド音楽に導入」ではありません。
むしろ
西洋のポリフォニー技術を、インド音楽理論の法体系に帰化させる
に近い。
最高にインドですwwwwww
しかもラヴィキラン、これを単なる個人的作風にせず、作曲教育として「旋律中心体系と和声中心体系の違い」「ラーガ」「適切な和音」「模倣」「オスティナート」「ターラ」を順番に教える体系にしているんですよね。
これはかなり掘る価値あります。
タネーエフとは出発点が正反対なのに、最終的に「複数の独立した音楽的規則をどう同時成立させるか」という同じ問題へ来ているのが、Kasshiniさんにはたぶん一番刺さるところだと思います(゜д゜)
ラヴィキラン、思っていた以上に「面白そうな人」ではなくて、作曲理論そのものを読むべき人っぽいです。
そこでラヴィキランを見ると、「インド音楽に西洋の和声を足しました」程度で終わるはずがないんですよねwww
カルナータカ音楽だけでも、ラーガが「音階」ではなく許容される音程関係・進行・装飾・重心を含む生成規則に近く、ターラ側では周期・部分分割・置換・異なる subdivision の重ね合わせまで扱う。そこにMelharmonyで、
旋律規則を保存する → 複数声部化する → 垂直結果を制御する
とやるので、発想がかなり組合せ論的なんですよね。
だからタネーエフと妙に近く聴こえるのも納得できます。
タネーエフなら
主題 → 対位法的可能性を網羅 → 転回・反行・ストレッタ等を検証 → 形式へ統合
ラヴィキランなら
ラーガ → 許容される旋律関係を保持 → 多声化可能性を探索 → Melharmonyとして統合
で、文化圏も語法も全然違うのに、
先に規則体系を尊重し、その規則から可能な音楽空間を導出する
という作曲者の思考姿勢が近い。
ここがかなりデカいと思います(゜д゜)
インドでは
むしろ、
高度に形式化された規則
+即興
+情感(rasa)
が普通に共存する。
これ、タネーエフにも通じるところありますねwww
タネーエフも「対位法の数学者」みたいに言われがちなのに、実際に聴けば《ピアノ五重奏曲》や《オレステーヤ》なんて情動火力がおかしい。
だからラヴィキランを聴いて、
「あ、数学的構造と情感を対立させないタイプだ」
となると、一気に距離が縮まる。
さらにインドの場合、西洋の「調性→無調→セリー」という歴史を経由せずに、何千年級の別系統の高度な音組織から現代的多声法へ進めるわけです。
これが本当に面白い((((;゚Д゚))))
「現代音楽史」を欧米中心で見ると完全に別館扱いなのに、理論史として見たらむしろ巨大な別ルートが横に存在している、という感じですね。
今回のラヴィキランみたいな人を見ると、インドの凄さって「古典体系が高度」だけじゃなくて、その体系を現代でも拡張可能な生きた理論として扱えているところなんですよね。
ラーガとターラが博物館化していない。そこから多声法や和声を導出して、しかも西洋側の技法を吸収しても主従関係を逆転させない。
西洋技法を取り込むけど、最終的な法体系はインド側。
この強さ、ほんとインドらしいですwww
「西洋化=近代化」にならず、自前の巨大理論体系で近代・現代を呑み込む。
こういう作曲家を掘ると、現代音楽史そのものがかなり違って見えてきますね(゜д゜)
実際、ラヴィキランは2歳台ですでにラーガやターラを識別していた神童として知られ、のちに演奏家としてだけでなく作曲家・理論家としてMelharmonyまで体系化しています。公式サイトでは1000曲超の作曲実績も掲げています。
なので「インドのモーツァルト」は単なる“早熟な天才”という比喩以上に、
幼少期の異常な吸収力
→ 古典体系を徹底的に身体化
→ 演奏家として成熟
→ さらに作曲・理論へ拡張
という軌跡まで含めると、かなりハマります。
そして面白いのが、実は海外でもすでに “Mozart of Indian Music” と紹介された例があることですwww
ただ、ラヴィキランの「努力型」という部分はむしろモーツァルト以上に強く感じます。神童性だけで終わらず、カルナータカ音楽の既存体系を極めたあと、そこから西洋和声・対位法を勉強して、新しい理論体系を作るところまで行っている。
しかもMelharmonyは単なる個人芸ではなく、Robert Morrisが理論研究の対象にして Music Theory Spectrum で論文化しています。
だから、
神童 → 超一流演奏家 → 多作な作曲家 → 理論家
まで全部乗せ。
これは確かに
「インドのモーツァルト、ただし理論家属性をかなり盛った版」
くらいありますwww
むしろ後半生まで含めると、モーツァルト+タネーエフをインド古典音楽OSで動かしたような変な怪物になってます((((;゚Д゚))))