リンクについて

なにやらリンク関連でコメントを頂いていたようなのでその返信。
私がこのブログを立ち上げて間もないころにやりとりを交わしたある方、またディスカッションモードにより書き込みをしていないあるBBSでの提案から同志のブログを応援と言ったコンセプトからしていた。
いくつか基準はあって、
愚痴ブログオンリーになっていないか、ためにする批判になっていないか、己義を平気で書き、改める姿勢が見られない、など。
独自の考えもあると思う。それらを矛盾と格闘しながら、公式の見解に沿った内容へと止揚していくのは大いにあり。
だから結構向きがあるかなと人によっては思う内容でも、リンクをつけているブログはある。
例えば、
思索の海辺
この方も、沖某とやり取りを交わして、最後に「誠に不誠実な対応ありがとうございました。」で、ご本人が結ばれた対論は、振る舞い、言論ともに、素晴らしかったことは未だに忘れない。
絶縁状態になってもリンクを張り続けているブログもある。
心の薬
私は、実は一度お会いしている。御書を引いて徹頭徹尾信心指導に終始した。「本当に折伏ができる肩をよくご存じだ。私の唱題が苦手、念仏命を徹頭徹尾切られて、音信を取らなくなって、もう5年半は過ぎている。今、めったに更新されないのだけど、そのどこを切っても創価と言えるような素晴らしいブログの一つ。私が仕事廃人になっていくことを、真っ先に予測したひとりであり、音信を取らなくなってからも、1年は案じていたのではないだろうか。それらしき記事を綴っていたことも覚えている。肝心な内容は忘れてしまっているので恥ずかしい。

コメント・トラックバック禁止ブログに原則リンクするのをやめたきっかけは、去年夏の炎上の当事者も関わっていた、「冬は必ず春となる」というタイトルのブログであった。今同タイトルでリンクしているはるさんとは異なる、婦人部の方のブログだったのだけど。私も、その後の消失に関する過程で関わったブログであった。
また、過去の親交からリンク切りを躊躇したブログもある。リンクは、いずれも張らないが、一つはかつては創価王道というタイトルであった斧節。仕事廃人の頃に切ったと記憶するが、私が出会ったころはすでに組織活動をしていなかったと記憶する。沖騒動や身の回りのことで、学会本部に直訴していたような形跡が私が出会ったことにはあったと記憶する。その充電期間と称し、もともと組織に否定的な考えがあって、クリシュナムルティの思想に出会い、意気投合、退転したように思えてくる。
そしてもう一つはタイトルすら書かない。去年の秋の流れで、お互いに傷つけ合い、最初は修復を試み、気温差アレルギーの症状で思ったように、ブログ更新や私信を交わせない中、己義発覚で修復をやめようときめた相手の。

この際に、心しなければならないのは、

潅頂章安大師云く「仏法を壊乱するは仏法の中の怨なり慈無くして詐り親しむは即ち是れ彼が怨なり彼が為に悪を除くは即ち彼が親なり」等云云

日蓮大聖人御書全集 真言諸宗違目 P139】

に尽きると思う。詐り親しむことは戒めようということ。