言論に対する姿勢

文献の「献」とは賢人の意。本来、文献とは、書かれたもの、人によって伝えられたもの、その両方を指す。仏典に出てくる「知識」知人のこと。

文献や知識という言葉から、しかし今日、人間のぬくもりは、ほとんど抜け落ちてしまった。インターネットの普及は、その傾向にますます拍車を掛けている。匿名情報が横行するネット社会は、一面、虚偽と妄想の世界に化しつつあると言っても過言ではない。

学ぶとは、師弟・学友という「人間世界」に、身を置くことにほかならない。その熱きふれあいのなかでこそ、人間を豊かにする知恵と知識が得られるのである。

【2009.2.28 名字の言 聖教新聞

こうした内容が、取り上げられたのは、論拠・道理の無い嘘やデマが日増しに蔓延しているからであるように思います。そうした考えに動じる必要はまったくありませんし、動じるのであれば、ネットは触れるものではないように思います。


>匿名情報が横行するネット社会は、一面、虚偽と妄想の世界に化しつつあると言っても過言ではない。
裏を返して言えば、「実名による言論責任の厳しさ、重さ」を説いているとも言えます。


まれに、実名でBBSで書き込みをしているから正しい、匿名など信用しないと仰る方もいることも存じております。しかし、実名であるからこそ、より論拠・道理の無い嘘やデマがあるかないか、注意する必要があるのでは無いかと思うのです。


私も、今まで以上に注意して参ります。ネットは、現実社会以上に気をつけるべきではないでしょうか。



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