思い出さなければならない、9年前のあの時のこと

内容としては、前回の続きと言えること。
今の私の中だと、声フェチとは切っても切れない。
あの時の失恋のこと。何度も書いてきた。
今回改めて、書く理由としては、
この秋、現職場において、声が耳に響きすぎて正直辛かったというのが1番の理由。
そして淵源を辿ると必ずこの出来事に行き着くことがわかっているから。
耐性を付けたり、ありのまま受け止めて流すといったことはこれから自習した内容にトライする1年間でしていくことなので、そこには触れない。その内容は、整理も兼ねてここに書く予定。

ここでこころみたいのは論理的にそこに行き着くまでのプロセスを論理的に解明して、感情と切り離すこと。
あれは、大学へ入って2週間以内に初遭遇したと記憶する。2か月遭遇するたびに心拍数が上がったと記憶している。その理由は、相手の声質に関するものということは、本能的に気づいていたはずであるが。典型的な、透明感あふれるほんわか丸い声である。当時好きだった今も好きな女性ボーカリスト言えば、こういう声質でなかったことはほとんどない。典型的なソプラノ・レッジェーロ。スーブレット役には最高の声質でもある。クラシック音楽の作曲家兼演奏家のエピソードになるが、リストやパガニーニの演奏を聴いて卒倒したというのと本質は近い。人間性に恋をしたのではなく、声に恋していた。当時は切り分けが一切できていなかった。
2か月後、恋ではと言われたりした。振り返れば、この時の周りの言葉に振り回されていた可能性はかなり高い。
この頃からさかのぼること、今から14年前の出来事から恋愛感情を持つことに後ろめたさや罪悪感はあった。これは今も変わらない。この14年前はただ構われていただけだったのだ。

その後、周りの発言から想像が危険な方向に行き、その後の傷に至る。その過程は、殺めたり、うつ症状、幻覚・幻聴の類を外すと、ひぐらしのなく頃に鬼隠し編における前原圭一と近接していると今も考える自分がいる。竜宮レナの2面性を持った演技ここでも声がキーになって1度だけ、傷の日がフラッシュバックしたりしたというわけだ。
傷の前に最後に聴いていたのは、岡崎律子さんの「セレナーデ」、「いつでも微笑みを」だったと記憶している。あの年の8月16日前後のメールで傷ついたことが直接の契機にあるが、ここで1番思い出したいことは、その時の揺れ動いた感情そのもの。その時は相手の逃げもあったに違いない。この時には片思いにすぎないことは判明していた。また相手もまた嘘を使っていたかもしれない。幸せになってほしい旨のメール。リアクションはなく、その時に間違いなく湧き上がった感情は、見捨てられる、嫌われているといった感情ではなかっただろうか。
そして、疑心暗鬼になり、相手を憎んだ。あの時間違いなく憎んだ自分がいた。極端から極端に揺れる自分、相手を信じなかった自分。根っこには自分を信じられない自分も見えてくる。

根底にあるのは、見捨てられ不安と、音に関する感受性に思えてくる。それらに、コミュニケーションの癖が関わってくる。それを一つ一つつぶしていくことで、この雨は晴れる。今になって気づく。