ディズニー ファンタジアを観た

カール・ベームマニアのサイトを観て知った。ウォルトディズニーの最高傑作。
そこから調べてみた。
制作期間は3年。初放映は1940年。
映画初のステレオ録音にして、9チャンネル マルチトラック サラウンドでマスター音源が制作された。
まて、ベニスに死すでさえ、現在のリマスターでドルビー・モノラルなのに。ステレオで考えて30数年、サラウンドに至っては40-50年時代の先を言っていたことになる。

Wikiを調べていくと、

11人の監督、60人のアニメーター、103人編成のオーケストラ等、投入されたスタッフはのべ1000人、書き上げられた原画100万枚、録音テープの長さ42万フィート(うち映画で実際使用されたのは1万8千フィート)、制作日数3年と前例のないスケールでの製作となった。(コンピュータなど無い時代の人力で作られたアニメーション作品として最も手間のかけられた作品とも云われている。かかった制作経費が大きすぎて1970年代になるまではかけた投資が回収できなかったとも云われる。)

時代も場所も違うから比較できないのはあるけれど、すでに、現在の金銭レートに変換すると、『風立ちぬ』『かぐや姫の物語』の両製作費を凌駕しているのでは。制作費用の回収は、ウオルト・ディズニー死後3年後の再上映時であった。当初回収できないと考え、回収する気もなかったようだ。回収できて凄いと思う。

時代の先をあまりにも言っていた様は、封切後を見ても明らか。

1940年11月13日にニューヨークのブロードウェイ・シアターで封切されたが、評価は微妙なところであった。というのも、雑誌「タイム」が3ページにわたって特集を組んだが、映画扱いされることはなく、音楽欄で作品が論評されていた。また、「田園」と「春の祭典」に対しては『作品の本来のイメージとはかけ離れている』という批判が集中した。また、従来からのディズニー映画のファンですら作品に戸惑いを見せたという。さらに、この作品を上映するのに必要な装置にかかる費用が莫大だったため、上映できる映画館が非常に限られていたこともあり、収益面は初めから諦められていた。もっとも、ウォルトは「タイム」でのインタビューで「これは私が死んでからもずっと楽しんでもらえる作品だ」とコメントしている。事実、ウォルトが亡くなって3年後の1969年に再上映されて以来、ようやく商業的にも成功した作品となった。なお、ウォルトはこの「ファンタジア」を公開するたびに曲を入れ替えるという「演奏会形式」を目指していたが、これは実現できなかった。

1940年度のアカデミー賞では、ウォルトとストコフスキーが特別賞を受賞している。しかし、当時のアカデミー賞にはアニメ映画に対する部門賞はなく、純粋に作品に対してアカデミー賞を授けられたとは言い難い。

この当時のアメリカは、音楽的には、きわめて保守的で、ジャズではビバップが勃興した時期。コルンゴルトアメリカに亡命。和音的には、後期ロマン派はまったく問題なく、印象派も受け入れ始めていただろう。しかしストラヴィンスキーはまだ早いかもしれないのではというくらい。視聴者も春の祭典初演時のパリに追いついたかどうかくらいと推察される。また田園という牧歌的な曲の中で、セル・アニメーションが神話の時代という意表の付いたギャップに追いついてこれなかったことが想像される。春の祭典バルトークメシアンの一部が、現時点ではポピュラリズムを得られる臨界点ではないかなと私は考えているためでもある。
曲の入れ替えは、ファンタジア2000で一部実現したが、「演奏会形式」を続けるには至らなかった。
イタリア映画「ネオ・ファンタジア」、富田勲がサラウンドに興味を持つきっかけになったり、初期のディズニーに携わり決別したルドルフ・アイジング監督が製作し、スコット・ブラッドリーが作曲した短編アニメーションDance of The Weed (草と木のおどり、1941年6月7日)にも与えている。こちらは、トムとシェリー初期作品と縁が深い。この作品で独創的なのは、同じくバレエがテーマになっていて、スコット・ブラッドリーの持ち味である、動きに合わせてどんどん曲想が変わること、そしてそれがアニメの動きと完全にあっていること。曲に合わせてアニメを動かす点においては、曲想の急激な変化もあり、こちらが上といってしまいたくなるところもある。さすがに、セル画の枚数から負けるところもあったりするけれど、これも素晴らしい名作。日本では、1970年代に放映された新・トムとジェリーの幕間作品として放映されたのがはじめてではないだろうか。



チャイコフスキーくるみ割り人形の「金平糖の踊り」、「花のワルツ」が使われている作品ということで、久しぶりにプリンセスチュチュも見ていた。見た話は後半雛の章第1話に当たる第14話の冒頭・終盤、そして最終回の中盤、OP。金平糖の踊りは不吉な予感で必ず流れ、花のワルツは、OPのクライマックスまた名シーンとして、第14話の終盤、最終回の中盤他で使用。この曲はヒロインあひるの変身した姿であるプリンセスチュチュのライトモティーフとして使用された。セル画の枚数で劣るのは仕方ないとして、無理無駄のない動き、セリフを含むアニメーションと音楽の一致ぶりは、TVアニメーションでは類を見ない。見れば見るほど影響を感じる。このアニメは、欧米特に北米では日本国内よりも人気が高かったようであるが、ファンタジアの人気が高く、またファンタジア2000が放映されて3-4年後というタイミングが良かったのかもしれない。ファンタジアを観て言えることは、バレエをアニメーションで表現してクラシック音楽系の曲でシンクロさせることは、芸術的アニメーションの王道なのだろうということ。

ヨーゼフ・クリップス その1

音楽関連に関して、まずは、ヨーゼフ・クリップスについて綴ろうと思う。
経歴は、彼のモーツァルト作品について書く際に、詳しく書こうと思う。
先週で、簡単に経歴について書いているので、そちらを参照を。

これからヤフオクで購入した分が届くのであるが、まずはyoutubeで聴いた、
実は、チャイコフスキーはあまり好きではない。
オーケストレーション、リズムの魔術師であり、世界では随一のメロディーメーカーである。歌うアレグロと呼ばれているところは、モーツァルトに譲るかもしれないが、それ以外では比類がない。その点で争えるのは、弟子筋に当たるラフマニノフソフトバンクのCMで使われているバレエ「ロミオとジュリエット」第1幕第2場第13曲「騎士たちの踊り」(モンタギュー家とキャピュレット家)を作曲した、プロコフィエフモーツァルトの生まれ変わりとも称されたコルンゴルトくらいではないだろうか。オーケストレーションは、ベートーヴェンにホルンの人数が倍になっただけで、絢爛豪華に鳴らしていく点が素晴らしい。形式面では、ベートーヴェンの影響を受け、オーケストレーションは、ロッシーニ経由でモーツァルトから受けている。チャイコフスキー自身は、ベートーヴェンはあまり好きではなく、モーツァルトを好んでいる。最晩年のカラヤンは、サウンド作りは好きだったりする一方で、クライマックスへの持って行き方は好きになれなかった。これはステレオ録音のストコフスキーにも同じことが言える。youtubeで聴いた感想だと、ムラヴィンスキーレニングラードフィルがヴィーン楽友協会 大ホールにて1970年頃録音した演奏の方が好みに近いこともこの時に同時にわかった。ヴィーン情緒溢れる、濃厚だけど、不思議とすっきりとした甘い音色が素晴らしい。フォルティッシモでもトランペットが耳に痛くなく素晴らしい。録音ではそのコルネット風の音色が録られるのは珍しく、その点も素晴らしい。
知れば知るほどに、後数年生きていたら、またクリーヴランド管弦楽団と共演できれば、完璧なアンサンブルとあのまろやかな音色が両立したオケが味わえたのではと思えてくる。あのまろやかな色彩は、ジョージ・セルクリーヴランド管弦楽団に移植したかったものに思えてくるからだ。サンフランシスコ管弦楽団が、ヨーロッバのオーケストラの薫り高さを持っているといわれるのは、小澤征爾の前任でヨーゼフ・クリップスが常任指揮者をやった遺産でもある。この演奏は、クリップスが珍しく一聴しても優美一色にならず、クライマックスには、金管をまろやかかつ豪快に鳴らす点でも特筆される。それは、R.シュトラウスや後のハリウッド音楽に勝るとも劣らない豪華絢爛ぶりである。



去ってゆく仲間、そして今

もう今月から直接関わることはなかったのであるが、昨日でまた仲間が去って行った。
思えば、直接関わったのは、去年の3月16日以降。
最初は日曜朝、4回あったかどうか。そして去年の秋、まさかの朝方。
生活リズムが狂っていき、遅刻も多かった彼女。
まだ、何も言葉をかけていないのであるが、まずはお疲れ様といいたい。
渡したいものは、残りの1-2つを何にしようか迷っている。
少しずつ、気力が上向きつつあるといってもそこはそれ。生来のマイペース、暢気が災いしているに違いない。
結局何ができたのかなと、ふと思う時もある。そして、職場にいる意義はいい意味でも消えてゆく。護りたいものがどんどん壊れて消えていくからだ。

音楽関連でも書きたいものがあるが、なかなかまとまらない。
今、夢中になっているのは、去年の秋からの流れで岡崎律子さん。そして、モーツァルトではヨーゼフ・クリップスが演奏した作品が気になる。いくつかは、手にいれようと思っている。この人がモノラル録音で取った演奏を彷彿とさせるレクイエムも手にいれる予定。クリップスでは交響曲選集、ピアノ協奏曲第24番、第25番、ドン・ジョバンニを。
爆速爆演でもなければ、音響的な華があるわけではない。しかし、コンセルトへボウ交響楽団からヴィーンフィルを思わせる色彩を醸し出し、ヴァルター同様、全パートを歌わせることにより、典雅・優雅の極みであることもさることながら、不思議とメロディとメロディの重なり合いが浮かび上がるところが素晴らしい。ヴィーン情緒それもヴィーンフィルの音色を他のオケに移植はクリップス以外なしえなかった偉業であり、この音色はセルが本来クリーヴランドに移植したかったに違いない。この点を持ってヴィーン情緒を伝えることができた唯一の指揮者に思えてくる。非常にグローカルな人物ともいえる。モーツァルト嫌いで知られるグレン・グールドが彼の指揮なら納得できてしまうというのはそういうところに違いない。音響的な華はカラヤンが、テンポの緩急・ダイナミクスでものを言わせるのが、フルトヴェングラーショルティアーノンクールらであれば、それぞれの対極に当たる。ゆっくりとしたテンポ、構造を浮かび上がらせる様はクレンペラーに、歌わせ方はブルーノ・ヴァルターに近い。人の好さ、ユダヤ系とあって、ポストは不遇で恵まれなかった、ヴァルター、ベームらと同等以上のモーツァルトの解釈者に思えてくる。そういったところを調べてみたい。人柄良いように見えて、ロバート・カルショウの伝記からは、戦後盛り立てたにもかかわらず排斥されたことへの反動で、聞くに堪えない罵詈雑言を吐いた皮肉なエピソードも残る辺り、必ずしも人格者と言えるわけではないが、そういう指揮者が多いのは知っているため、そこはほとんど触れない。また新しいモーツァルト像が見えてきそうだ。

雪が溶けたら春になる

先日、ここ首都圏でも雪が降った。
ここで関係ないような気がするが、去年11月の後半から、昔夢中で見ていたアニメを振り返ってみていた。
具体的には、フルーツバスケットARiATwitterでは後述する岡崎律子さんが作詞した歌詞ともども、毎日のように、無駄に見えるようなRTをしていた。理由は、この2作品が、一種名言セラピーとして有用であるからだ。
フルーツバスケットを見たきっかけは、大好きだった岡崎律子さん繋がりで。
当時大学受験終盤ながら、キッズステーションの再放送で一通り見た。何話かは見れなかったが、2年後ケーブルテレビでデジタルCSを見れる環境にして、全話見た。

アニメの6話だっただろうか、こんな場面がある。

「君は雪が溶けたら何になると思う?」
「そうですね・・・ううん・・・・あ・・っ 春になりますね・・!今はどんなに寒くても 春は またやってくる かならず 不思議ですね・・・」

アニメではこのセリフの後に、For フルーツバスケットのインストが流れていわゆる煽りシーンになっていたはずだ。当時、思わず目がウルッとしたことを今でも覚えている。

御聖訓にもある。

法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる

【P1253 妙一尼御前御消息 日蓮大聖人御書全集】

最近、思わずこのことを思わずにはいられない場面があった。
去年12月、2週間を経てようやく精神的に元気を取り戻したころだった。
生来の粗忽さが災いして、大事なものを落とすこと数連発。音信不通になったこともあった。ジリ貧もその延長線上の出来事であったりする。精神的に参ってしまった。身内のニートの原因の一つは家庭不和にあり、寝ている場所に御本尊様が鎮座していることもあり、非常に唱題をしにくいというジレンマがある。アップダウンが激しいながら、胸中唱題だけは続けた。形だけの時もあったに違いない。
今、ようやく道が開かれゆくことを実感する。


Yes,growin up!Oh,yeah Yes,time for jump!Oh yeah 翼は夢、そして空へ


愛すべき明日はある あの日も 今も


今日も頑張ろう 負けない強さを持とう 愛する人のためにも


やっと、スタートラインに立てた、それだけで嬉しい。
負けない。たゆまず唱題を続け、自分の中に渦巻いているあらゆることを受け止められれるように、そして負荷に耐えられるように、課題解決力をつけて、皆とwin-winの関係を築けるように。一歩、一歩歩んで行きたい。

2015年の目標

去年の終わりはとにかく物を落とした。大事なものに限って。
ゆえに、ショックは大きかった。シフトの変動、短期間で去るものが多い職場とあって、周りからのフォローの限界を感じる。
というわけで、実際に書くのは1月以上遅れてしまった。
Twitterで、綴ったり、写真をアップしたり、興味を持ったものを、大量RT,favoするのが精いっぱいであった。ようやく案件が3つ片付いて、残り2件も地下時価完全決着するだろうかというところまできた。

さて、ここから本題。
何よりも、身内の面倒を見て、支払うものは支払い切って、独立する。
そして、弁証法的行動療法を自学自習し抜ていて、セルフ・コントロールできるようになること。
この2点をクリアして、広宣流布の投資となるべく、一歩勇気を持って踏み出すこと。

これが今年の目標である。

音楽関連で振り返る2014

何といっても、SN騒動のショックが大きい。
あれからも何度も振り返ったが、防御策は見いだせていない。

二つ目は、ジョージ・セル指揮魔笛、今年亡くなったブリュッヘンらによるモーツァルト再発見。また同じく今年亡くなったアッバード指揮によるグレの歌に始まる、シェーンベルク再発見である。あれから、カラヤン指揮ペレアスとメリザンド、シェルヘン指揮、ヴィーン国立歌劇場団員と思われる面々とオリジナル編成で演奏した室内交響曲第1番も手にいれた。カラヤン指揮ペレアスとメリザンドでは、クラスター音にも似た響きに驚き、後者は、その耽美で濃厚なヴィーン情緒と表出的な演奏に驚く。ブーレーズハインツ・ホリガーの演奏はただ快速の安全運転にしか聞こえない。youtubeで聴ける演奏と比較してもこれほど濃厚で、調性音楽が崩壊しかかる姿を如実に現した演奏を現時点では知らない。ヴェーベルン編曲の同曲もこの解釈で演奏する談大が出てこないかなと思ったりする。

3つ目に、岡崎律子さんの再発見。ブログのコメント、その前では今年の3月1-15日にかけて、失恋以降ではへビ−ローテーションしていた。3月だとARiAのサントラも該当するが、再発見とは言えないだろう。歌詞、歌声に改めて救われる思いである。

4つ目は、Pharrell Williams HAPPYの大ブレイク。世界ではこの売り上げを超えた作品が、Let it Go以外で1作あったようであるが、抱き込み商法がないiTunesでは日本でも売り上げ5位だったりする。ただ、ジャニーズAKB系ほとんど買えないからチャートがよみにくいのが何とも。
この歌詞の精神性は、キング牧師が聴いたら喜ぶに違いない。また、カウンターへイトで使われたことも微笑ましい。

2014年を総括して

はじめに、よそへの出向コメント含む、当ブログへのコメントが遅れます。理由は頭が現在パンク状態のため。

3.16以降が本当に戦いの一年であった。
多くの課題・案件は翌年に持ち越しとなった。

家族について言えば、共に暮らす身内は依然としてニートである。
島弘子氏の本を読むと出てくる、身内を疲弊したもの。
そして、悲しいかな、すべてを暴露懺悔することは現実生活の崩壊を引き起こすことに等しい。シンフォニックレインから引いてしまうが、実に、トルタ、ファルが付いた嘘というのは私も変わらないことに改めて気づかされる。
これなしには、解決できないよな。経済的なものとか、すべて付随してくる。私は学会活動ができなかった時期を起点として、距離感に悩むこと多し。そこには歪んだ自己愛やボーダ−ラインが影を落としていることも今はわかる。
身内は、周りには仕事をしているといいながら相変わらず仕事はしていない。現在部長として奮闘中であり、影の戦いをしていることも知っている。こういう状態にあるわけで、すべてが光と影のような関係が成り立っているともいえる。フリーターから抜け出せないメンバーへの指導を見るにつけ、正しい音質をしている自分がいることに、今月になって気づいた次第である。おなか痛いといって、会社に電話をかけず、郷里の両親にも飛び火して、最後は離職する身内。力量的には続けていけるようにも見えたので、不規則な仕事も関連しているが、人間関係からくるものと見ている。身内は小さいころ、両親が自分にかかりきりになりがちであったから、身内もまた、違う形で自己愛に振り回されているのではないだろうか、そう思えてならない。
それを改善するには、自分の暗部を矯正していくことになる。しかし、課題が多すぎて、どこから手を付ければいいか、見当もつかない。
今思うと、表向きしっかりしていて、親子関係で実は亀裂が多かった不全家庭なのかなと思えてくる。仕事していないのに身内が帰らない本当の理由は、両親に縛り付けられるのが嫌だからではないだろうか。これは自分も同じである。ともに故郷が好きで、それでも身内はいつも故郷のニュースを見ていて不思議だったりするのであるが。そういった経緯から身内からは故郷のニュースに無関心なことをいつもなじられるのであるが、実家に帰れといったら大げんかになるに違いない。
経済難を解決したら、今暮らしているアパートに身内を残して旅立たないといけない。そう、気持ちを新たにして。

今年は、カウンセリングにも顔を出していて、Twitterに書いた内容をまとめようと思ったのだけど、ログを検索するのに、時間が掛かりすぎるので、その時かいたことをおぼろげながら思い出して書こうと思う。言ったのは、11月から12月にかけての3回。状況把握に始まり、2回目は、何度も会話が止まった。どう答えたらいいかわからないの一言に尽きるが、自己愛が関係していたのは確か。3回目はほとんどとまることなく進んだ。治療のために、読み始めた本や、声フェチに関連して、Rainbow.ForRiTZ収録のリセエンヌをかけたことも覚えている。追い込まなければ、会話のキャッチボールができることも確認できた。

今年、3.16以降辛い日が続いた。それでも後悔しない。色んな人の新たな一面が見えたこと、自分のパーソナリティー障害に気付けたことは収穫であるし、時と場合次第で、よき聴き手になれる自分がいることにも気づいたから。ただし、最後のことに関しては、自己愛性を調べて知った、困った人の手助けをしたり、話を聞くのは、人の不幸を喜びの現れという記述を読んで、疑心暗鬼にならずにいられないじぶんがいるのも確か。だから偽善なのかもしれない。そう振り返れば、乗り越えるヒントは一通りでたわけで、希望を持って、来年もこの課題に挑んでいく。