音楽の99%は引用


上記動画を含む似ている曲10連発シリーズ。



同じネタだとカノン進行こと大逆進行もある。

アーティスト、コンポ―サー、アレンジャーの個性やいわゆるパクリ疑惑を語るとき、この辺は触れないといけないと考える。
部分部分聴いているとあからさまな借用でもその後の展開で、これがこのクリエイターの癖なのかなとおもえるところは、間違いなくあるはずである。
それが、個性と思えるかはその人の感性次第。
ここで取り上げたネタは、ポップスが99%だけど、グノーのアヴェ・マリアは、J.S.バッハ平均律クラヴィーア曲集第1番プレリュードを伴奏にそのまま借用。グノーが亡くなってからも遺族同士で裁判沙汰になったという。
ショスタコーヴィチ 交響曲第7番「レニングラード」第一楽章では、リズムがラヴェルボレロ』をパロディにしている形跡があるし、「チチンプイプイ」も聴こえてくる。ヘンデルも盗作魔であった節がある。ショスタコーヴィチも晩年は、自作はおろか、多作からの引用が増える。具体的には、交響曲第15番で聴こえてくる、ワーグナーの『ニーベルングの指環』より「運命の動機」、グリンカの歌曲『疑惑』、『トリスタンとイゾルデ』、ハイドン交響曲第104番。ヴィオラソナタでは、アルバン・ベルクのヴァイオリン協奏曲、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ『月光』。
ウィンナ・ワルツのクリエーターたちも、音楽文化の共有からか、類似性は山のように見つかる。
音楽の引用を考えると、シュニトケの音楽のような「多様式」の音楽まで知り尽くさない語れなくなるように思えてくる。