モーツァルト 交響曲第41番「ジュピター」ヴィーンフィル演奏を聴いていて想うこと

管合奏の響きがまるでパイプオルガンのように聴こえてくるということ。
今まで気づかなかったのだけど、これが今まで気づかなかったこのオーケストラの美質の一つなのかもしれない。
この色彩で聴くと、たしかに、R.シュトラウスが、若かりし頃に、『ジュピター交響曲は私が聴いた音楽の中で最も偉大なものである。終曲のフーガを聞いたとき、私は天にいるかの思いがした』というのも頷く。
この感覚は、指揮者によって違うかなっと思いながら、カラヤンベーム、ヴァルター、レヴァインではその色彩が存分に引き出されていた。ベーム、ヴァルターが顕著。DECCAのクッキリ録音かつ、楽友教会黄金の大ホールではない今は廃墟となってしまったゾフィエンザールで録音されたカラヤンでもこの色彩は聞き取れた。
明るくまろやかかつ暗く澄んだ音色を持つ楽器が、程よい残響で溶け合った結果まろやかなオルガンのような音響をなす。
これはヴィーンフィルと言うオーケストラの特質なのだと思う。
神々しく、美しい。
ストコフスキーの最晩年のオーケストラ配置のように一つ一つの楽器が極端に際立たせることでオルガンのような一体感を出す試みも存在しているみたいだけど。
そうした試みよりもうまくいっている印象がある。といっても、ストコフスキー指揮ニューフィルハーモニア管弦楽団演奏チャイコフスキー交響曲第5番を聴いての感想でしかない。第2楽章の歌わせ方と色彩感が独特て意外と好きな演奏だったのだけど。

というわけで、この辺りを当分きくことになりそう。