NiRVANA Sinfonie & MANDARA Sinfonie

以前書いた、黛敏郎の代表的な交響曲2作品を改めて聴く。

丁度、NiRVANA Sinfonieを書いていた頃、こんな言葉を残している。

「ヨーロッパの前衛音楽は、合理的、論理的思考を極限まで推し進めることによって必然的に、(合理的非合理)ないし(論理的非論理)ともいえるような次元に到達しようとしている。/それはいわば(音響)に対する認識を根本から改革することを前提とするものであり、直感的、感覚的な(音響)の受けとり方を、体質として先天的に持ち合わせている日本人にとっては、本能的に把握し得る境地といえる」

【黛、「音楽芸術」1958年】

この頃の芸術音楽に、ハーモニーは無かった。ある曲は、注目をされなかった時代。
平均律誕生後、自由に転調ができるようになり、押し進めた結果、調性が消え、ハーモニーが消えた。究めてロジックになると共に、今まで西洋音楽をさせてきた基盤は崩壊し、普遍性は無くなった。そうした意味では、前衛音楽は、最も個性的で自己を最も表現した音楽といえるかも知れない。

そして、この課題解決のため、東洋の音の響きに答えを見いだした。
「梵鐘」の音響を解析し、オーケストラで再現させたのが、NiRVANA Sinfonie。今回は、岩城宏之指揮のCDで聴いた。解説より、

音楽、真の魂の叫びによる音楽には、実の相があり、それがnirvanaに連なり(以下略)

1番印象的なのは、フィナーレ。天台声明の法華懺法総礼三宝に基づく旋律型で構成。ストラヴィンスキーの極彩色の音色のオーケストラの響きは、梵鐘の響きを再現し、合奏と合唱が重なり合い、静寂に溶け込むようにして終わる。


オーケストラによって鐘の音を再現させた試みは、1958年当時は類似の試みは誰もしていなかったという意味では、スペクトル楽派(音響現象を音波として捉え、その倍音をスペクトル解析したり理論的に倍音を合成することによる作曲)の先駆といえる。当時、黛敏郎は、28歳。


MANDARA Sinfonieは初めて聴いた。NiRVANA Sinfonieの兄弟作品。たまに、この作品と似た作品に出くわす。前回はPCに取り込まなかったものの、今回は、取り込んだ。じっくり聴くことにしよう。MANDARA Sinfonieは、終盤、調性があるように聴こえるものの、ほとんどが無調のため、現代音楽ならではの、奇抜な響きが多いので、そこだけは、好きになれない。作曲者の発送と、締め方は良いかと言ったところ。


マニアックなものを書いたので、次は軽めのものを。



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