随筆 人間世紀の光 フレッシュマンの輝き

御聖訓には「世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり」(御書P1466)と仰せである。
社会を離れて仏法はない。
社会を学び究め、社会に貢献し、社会で勝利できる人こそ、真の「勇者」なのだ。

戸田先生は「青年の一番の宝は、信頼である」と言われた。

「青年は、財産や名誉などなくとも、信用されることが、最大の誇りであり、勝利であると思っていきなさい」と教えて下さった

青年は、「いなくてはならない人」へと、自分を価値あらしめていくのだ。


新社会人に贈る指針


清々しい挨拶を!


朝に勝とう


愚痴をこぼさない

海外のかたとの会見にあたっても、相手の著作等に目を通すことは当然である。
更に、先方の文化や習慣を学んでおくことなど、事前の準備は今もって怠らない。一回一回が真剣勝負である。
御聖訓には、「小事つもりて大事となる」(同P1595)

「月月・日日につよ(強)り給え」(同P1190)の仏法を行ずる我々は、白馬が嘶くように、朗々たる朝の勤行・唱題を響かせながら、今日も勝ち戦の行進を開始するのだ。

朝を大切にする。それは、時間を大切にすることだ。

信心の「一念」とは、限りある時間の中で、生命を凝結させて、最大の価値を創造しゆく力なのである。

苦労知らずで偉くなった青年は不幸だ。真の人生の深さがわからないからだ。
苦しみ抜いてこそ、本物が育つ。ゆえに、思うようにいかない時も、くさってはならない。うまくいかない時も、自分らしくベストを尽くしていけば、必ず、そこから次の道は開かれる。

題目を唱えて御本尊に悩みを訴えれば、勇気と力が湧いてくる。智慧が光る。諸天善神が厳然と表れる。
日蓮仏法の真髄は「煩悩即菩提」である。
その根幹は、祈りである。
「湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けん雅如く強情に申すなり」(同P1132)と仰せの通り、祈り抜き、祈りきっていくことだ。

一、好機と見たら、断固決断することが望まれる。弱気になってはならない。
一、辛抱すべきときには、あくまで我慢に徹する事が望まれる。腰くだけになってはならない。
一、変化への対応は、機敏であることが望まれる。手遅れになってはならない。

そして、こうした勝利の鉄則も、すべて御聖訓に示された「法華経の兵法」に包含されていることを、大確信していくことだ。

師弟不二なれば、何事も成就す」―この究極の勝利の劇を、永遠に刻み残してきたのが、創価の三代の師弟である。

私は待っている。君たち、あなた達のが、人生と社会の「勝利の達人」と飛翔しゆく、その時を!
それが、私と皆さんとの「約束」だ!
がんばれ、創価のフレッシュマンたちよ!


あまりにも、足らない事が多い事を痛感するのみ。池田先生は、皆が勝利する時を、待って下さっている。必ず勝とう!!



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