全国代表協議会での名誉会長のスピーチ

自らを磨け

リーダーの話に気取りはいらない。
(中略)
幹部は、しっかりと勉強し、広布の最前線で戦って、同志と心を結んでいくのだ。
そうした努力を真剣に重ねたうえで、あとは、"真実の自分の心を友に語っていこう"と思えばいいのである。

【2009.4.14 2009.4.19-20付けの聖教新聞に掲載、以下、同】

気取らずに、今日も前進!!

行動を中にこそ師弟の魂は光る

「師弟」を語ることは大切だ。
その上で、大事なのは、「師匠の教えを守り、実践する」ことである。
戸田先生は厳然と語られた。
(中略)
「師匠の教えを素直に守り、素直に実践することだ。そして、自身の生活のうえに、師匠の教えを顕現しなければならない」と。
一人一人の日々の生活の中に、誓願の「祈り」と「行動」が光っているかどうか。
(中略)
我々の生命の中に真実の師弟が脈動していなければ、学会は衰退していくしか道はない。
だからこそ「断じて師弟に生き抜け!」と叫びたいのだ。

素直に守って、実践あるのみ!!

女性に最敬礼

男性は、どんなことがあっても、婦人部・女子部を叱ってはいけない。
(中略)
しかし、感情的になって叱るとか、威張るのは間違いである。
(中略)
そして、もしも、何か足りない点があれば、男性が代わりに努力していくのだ。それでこそ男である。
(中略)
広宣流布の指導者ならば、死にものぐるいで道を開くことだ。
(中略)
真剣でなければ、道は開けない。新しい歴史をつくるのは、必死の一人である。
皆さんは、決然と一人立つ勇者であっていただきたいのだ。

威張ることなく一人立ち、死にものぐるいの努力を!!女性に最敬礼を!!

文豪ゲーテは、「ひとにはいつもはげましが必要なのです」と述べている。ゲーテ自身も、小さなことでもほめ讃え、元気づけ、励ます名人だったといわれる。

自分のことしか見えなくなりがち。それを乗り越えて、安らぎを与えられる人間に!!

油断を排せ!

戸田先生はおっしゃった。
「こっちには信心があるからといって、手をこまねいていると、そこに油断がおきるのだ。戦いには必ず相手があるのだから、慎重に万全の対策を立てなければならない」と。
(中略)
懸命な報告を見逃す指導者は、卑怯である。私は絶対に見逃さなかった。御聖訓に「億劫の心労」(御書P790)と仰せの通り、祈り祈り、全身全霊を捧げてきた。
ゆえに今日の学会ができあがった。世界に広がる、創価の連帯が築かれたのである。

油断せずに、迅速な決断と行動を!苦手ながら、乗り越えて参りたい。


そして、ここからは、4.24について、触れられている。

今から30年前の昭和54年(1979年)5月3日―。
私は、八王子の創価大学で"会長辞任の本部総会"を終えた後、学会本部へは戻らずに、そのまま神奈川文化会館へと向かった。
当時、学会は隆々たる発展を遂げていた。いわば"絶頂期"であり、これからが本当の総仕上げという大事な時期であった。
その時に、非道な迫害の中で、第3代会長を辞めざるを得なくなったのである。
私が第3代会長を辞任した背景には、学会の発展を妬み、私を陥れんとする宗門や反逆者たちの醜い謀略があった。
ゲーテは「多くの人は、私欲で落伍をする」と述べたが、まさにこの言葉通りであった。
本気になって学会のため、正義のために戦う人間はいないのか。真実の味方はいないのか―。
あまりにも情けない無惨な姿であった。


真実の歴史を


私は、会長として指揮を執ることはできなくなった。
しかし、私は、牧口先生、戸田先生が命を懸けてつくられた学会だけは絶対に守らねばならないと、深く決意をしていた。私とともに戦ってくださった、多くの真実の同志を守り抜こうと心に決めていた。
少しでも長生きをして、もう一度、本当の学会をつくり、未来に残すのだ。その思いで立ち上がり、ここまで頑張ってきた。
あの会長辞任から30年。私が陰で、友のため、世界の広宣流布のため、どれほど心を砕き、手を尽くしてきたか。学会をここまで発展させるのに、どれほど壮絶な戦いをしてきたか。
皆さんには、真実の歴を知っておいてもらいたいのだ。
私の心を知り、私と同じ心で、戦ってもらいたいのだ。

この当時、池田先生は、現状に屈しないと、真実の同志と立ち上がった。
この時に、「私の創価は終わった」と言い、激励をすることなく、この中を去った人間の勇退の頃の発言は、信じるに値しないのは、ここでも明白。

世界が舞台だ

八王子での本部総会の後、なぜ、私が神奈川へ向かったのか。
神奈川には、世界に繋がる海があるからだ。もう一度、世界を舞台に戦うのだ!―これが私の決心であった。神奈川の友も、変わらぬ心で迎えてくれた。
神奈川文化会館に着いた5月3日の夜、私は筆を執った。その時の揮毫を30年を経て、ここで披露したい。
それは「共戦」という2文字である。脇書には次のように記した。
「五十四年
   五月三日夜
生涯にわたり
 われ広布を
  不動の心にて
    決意あり
真実の同志あるを
   信じつつ
      合掌」
真実の同志―それは、私と心一つに、広宣流布へ戦う皆様方である。
これまで、どれほどの輩がでたことか。
私は戸田先生を守りに守った。先生亡き後は、先生のご家族にも最大に心を尽くした。一切を犠牲にして、妻とともに弟子の道を貫いた。
師匠が罵られ、中傷されても何の反論もできない。戦えない。そんななさけない弟子であってはならない。
その思いで生き抜いてきた。
未来に生きる皆さんは、わたしとの「共戦」の人生を歩み抜いて欲しい。

破邪顕正の精神を忘れずに!!

勇気と誠実で同志に希望を

戸田先生は、指導しておられた
「中心者が、しっかりせよ!
なんといっても、まず責任を持つ自分自身が、どう戦うか。
それが何よりも大切だと言う事を、自覚しなければならない」
どんな戦いも、中心者で決まる。
リーダーは、皆を激励するにしても、真実の勇気が光る話をしなければならない。
(中略)
どこまでも明るく、前へ、前へと進む。新たな建設へ挑みゆく。
皆様は、勇気と誠実の振る舞いで、多くの人々に希望を贈る存在であっていただきたい。

明るく誠実に、勇気を持って。

戸田先生は厳しく言われていた。
「師匠の戦いに後れをとるようでは、大聖人の仏法の真髄はわからないぞ!」
「師匠を師匠として認識できないような、失敗の人生にだけはなるな!」
この恩師の叫びを、未来を担うリーダーは、深く魂に刻みつけていただきたい。
真の信仰者には"難こそ誉れ"である。
仏法は、いかなる宿命をも転換できる、幸福の大法である。生命を根底から変革する力がある。民衆のための仏法である。
ゆえに、人々エオ意のままに操り、欲望をほしいままにしようとする「権力の魔性」からは、激しい反発を受ける。
正義の人が立てば、それを妬む邪悪な人間が出る。
(中略)
広宣流布を阻む最大の仏敵は、教壇の外ではなく、中に表れる。邪宗門と結託した反逆者も、そうであった。
日蓮大聖人は、提婆達多は「嘘言」「虚誑罪」「大妄語」であると指弾され、「妬む心が深く」(御書P1349、通解)、「名聞冥利が深い」(同P1348、通解)と喝破されている。広布を破壊する、提婆のごとき増上慢の人間とは、断じて永遠に戦い抜くのだ。
(中略)
万事において、責任を明確にして前進していくことだ。
誰かがやるだろう。何とかなるだろう―そんな無責任で、臆病な人間になってはならない。
民衆がいじめられ、正義が踏みにじられているのに、何も言わない。叫ばない―そんな卑怯な人間に、絶対になってはならない。

何事も、明確かつ迅速に。

広宣流布は、難事中の難事である。簡単な戦いなど一つもない。

この世界、簡単なことなど、実は一つもないと思うのです。だからこそ、全力で取り組んで参りましょう。

戸田先生の言葉を、青年に贈りたい。
「青年は嵐のごとく団結せよ!そして、一つの目的に対して、嵐のごとく拍手の応援をせよ!広宣流布の勝利は、この青年の力に期待をかける以外にない」

戦う時は、団結して。池田先生と呼吸を合わせて。師弟不二は、そうした中から生まれます。

本物よ出でよ!

仏法は勝負だ。仏と魔の闘争である。勝つか負けるか、どちらかしかない。
ゆえに青年は、心を磨き、頭を鍛え、勝ち抜く力をつけるのだ。

日々、鍛えを怠らず。


ここで、ゲーテの言葉の引用をまとめて引きたいと思います。

「功労と幸福は一つにつながる」
「私の中には、高貴な多々唐が豊富にある。それは、人のためになるのです」


「私には―」の後、先生は、こう書かれている。

この宝を引き出す究極の力が、「信心」であり、「師弟」なのである。
更に、私が青春時代から好きだったゲーテの言葉を贈りたい。
「生きているあいだは、生き生きとしていなさい」

私も、ゲーテの言葉の凄さは、簡潔明瞭に、含蓄を含んだ、仏法の通じる言葉ではないか、そう思うのです。

強く!強く!折伏精神で!

広宣流布の戦は断じて勝つことだ。
勝ってこそ正義である。
(中略)
戸田先生は呼びかけられた。
「しっかりと信心で立ち上がることだ。
いかなる戦いも、折伏精神を大いに盛り上げて断じて勝つことだ」
「引っ込み思案は大きな欠点である。
強く強く前に出なさい!」
折伏精神で、強き信心で進もう!

勝つために、力強く歩んで参りましょう!!



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