最近の池田先生のスピーチを読んで、ゲ−テに思いを馳せる

この3日間、池田先生のスピーチが連日掲載されています。私が、短い文章を綴るだけで四苦八苦する中、連日のスピーチ・詩、そして小説「新・人間革命」で言葉を綴られておられます。その含蓄とエスプリに満ちた言葉、要旨は簡潔明瞭、そして論文のように、論拠・引用はすべて明示されており、そうしたことをいつもされていることに、素晴らしさを覚えます。


さて、この3日間のスピーチで、必ずドイツの文豪ゲーテの言葉を引かれていました。脱線ながら、ゲーテの詩や劇は、様々な作曲家が曲をつけました。モーツァルトの歌曲「すみれ」は、モーツァルトが唯一ゲーテの詩に曲をつけたもの。他には、歌曲王シューベルト「魔王」「野ばら」「ガニメデ」。ファウストからは、「糸をつむぐグレートヒェン」「トゥーレの王」。ゲーテの詩の中でもとても有名な詩です。死後、ようやくゲーテシューベルトの良さを知った逸話もあります。ベートーヴェンも劇音楽「エグモント」やカンタータ「静かな海と楽しい航海」などゲーテの作品に曲をつけています。ファウストは、様々な人が作曲しました。


エクトル・ベルリオーズ 『ファウストの劫罰』(1846年)、この作品は、ゲーテの知り合いの音楽家ツェルターは曲そのものを否定し、ゲーテもそれに賛同したエピソードから、好んでいなかっことが推察されます。
シャルル・グノー 歌劇『ファウスト』(1859年)
アッリーゴ・ボーイト 歌劇『メフィストーフェレ』(1869年)
ロベルト・シューマン 『ファウストからの情景』(1844年-1859年)
フランツ・リスト  『ファウスト交響曲』(1857年-1880年)
グスタフ・マーラー 『交響曲第8番』(1906年)など。
原作をすべて表現した作品は、少なくとも有名な作品には、一つもありません。まさに、、『ファウスト』に曲をつける権利があるのはモーツァルトだけだとも語っていたエピソード通りですね(エッカーマンゲーテとの対話』)。


私は、マーラー交響曲第8番の1番最後の神秘の合唱がとても好きです。宇宙の鳴り響きと語ったエピソードだけではりません。繰り返し強調して歌われている言葉は、「我らをさらなる高みへと引き上げていく」。ファウストの一番最後の言葉の後半。その言葉の全容は、「永遠に女性的なるものが、我らをさらなる高みへと引き上げていく」。ゲーテの言葉でもとても好きな言葉の一つです。この言葉の後半が歌われる時、荘厳かつ雄弁で力強いオーケストラの響きがあわさり、無限を感じるのです。そして、簡潔かつ含蓄に満ちたゲーテにありがとうの思いを抱きつつ。


最後に、先生のスピーチは、近日中に、心に残ったところを綴って参りたい。
スピーチから、ただひたすらに、学びたい・学びたい、そして自らの血肉に変えて参りたい。



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