暴露療法 Part 1

このブログ内で、思いっきり書いてみようと思う。Part nとなっているが、続くかは未定。書く時は、完全にノリと気分による。
書こうと思ったキッカケは、
1.未来へ進むために、避けて通れないこと。
2.リアルで暴露できないと言うパラドックス
3.エントロピーの増大を回避するため、やむを得ない判断。
以上の理由からである。

調べて気づいたことは、トラウマといったものは、ショック=刺激が強すぎて、本来であれば、寝ている間に、不要な記憶は消去され、必要な記憶は、感情とセットにして保存されるができなくなる。
結果として、感情が処理できなくて感情が飛んだ場合や、処理できずに放置され感情が麻痺した場合、相手先の感情が見つからずその感情を探しまわり似たようなネガティヴな感情を当てはめ処理してしまうという。
処理能力を越えたこと自体が、得体のしれない恐怖となり、二度と経験したくない極めて不快なことと認識され、こうした記憶は、それ後も寝ている間、何度も整理しようとするために、悪夢を見たり、その後、不眠症やうつ症状になることもある。



日々の唱題によって、仏界を涌現させ、両脳の協調、脳波のバランスをよくし、心理学でいうところのマインドフルネスを構築すること。
並走して、EMDR(不快な時を思い出して、自分の眼球を意識的に上下、左右する),FAP Free from Anxiety Program(不安からの解放プログラム、やり方は、苦痛の対象を簡単に想起して 主観的苦痛の程度を 0〜10のグレードで点数化→その問題について考えながら、手の爪のつけ根(両わき)のポイントを数秒間ずつ押す(トラウマ:親指外側→薬指→中指→小指、罪悪感:親指内側→人差し指(内外側))→視線を正面に向け、真っ直ぐに保ちながら(目は動かさない)右、左、右、左、と 意識のみを数秒ずつ左右に移動する(五往復)→再び 爪の付け根のポイントを押す。以下、繰り返し。)して、克服するというプロセスを経ていく予定。
EMDRは、学会認定があるようだ。しかし、記憶と感情は徹底してバラバラにするからか、トラウマに効くが、鬱症状に移行する例があるようだ。鬱症状で、試みられている実例もあるのであるが、意外とリスキー・
EFTの派生形のようなFAPは、EFT同様、学会認定はないものの、鬱症状に移行する事例は少ない。少なくとも、私自身は聴いていない。またEFTと異なり、記憶と感情はきちんとセットで保管されるとのこと。

この辺りは、EMDRでテスト、それで鬱症状が出たら、そのことに関してはFAPに移行して行うを繰り返すことになると思う。


暴露。といっても何度も何度も書いてきたことだけど。

今月に入ってから書いたことになるけれど、
一つは、親から多々受けた過干渉。自分の考えが、人から理解されることはないという認識。理解してもらおうと努力しても無駄。実際のところ、幾つかは通ったのであるが、その時には、それまでに否定されたという思いが自分自身を縛りついていて、モチベーションは失っていた。
失敗経験の蓄積。言いようのない無力感、絶望、虚無感。
これは、母親自身どうしようもなかったことだと思うのであるが、家にいてほしい時にいなくて、一人涙ボロボロで過ごした時間。誰からも好かれていない、嫌われているという認識。誰もいざと言うときに、守ってはくれないという感覚。異性への餓えに似た感覚は、この派生なのかもしれない。中1の頃、気になっていた方に、「ただ、かまっているだけ」と言われた時の傷もある。
最後に書いた一言を痛感させられた例、声フェチになってからであるが、たとえば岡崎律子さんの歌辺りは、非常にわかりやすい。
さらに言えば、かつて一目惚れした方の声は、岡崎律子さんのトーンを、年相応に、明るく軽くしたようなトーン。ここまでくると気持ちが悪くなるくらい、簡単に説明ができるので、書いていて改めて怖いと思う。また、人の五感の中で、聴覚・嗅覚は、人の無意識にダイレクトに働きかけるもの。私の場合、その衝動性の高さもあって・・・ということなのだろうと思う。
リアルションがなく、生来からの衝動性に負け、自ら招いた崩壊のボタンを押したとき、この辺りを間違いなく聴いていた。この頃は、よく悪くもこうしたものばかり聴いていた。


そして、スイッチを押してしまった後のこと。今でも、すべてを思い出せない。「生まれて来なければよかった」と思ったこと、当時の記録は、すべて消去した記憶と、前後の周りの言葉を拒絶した記憶、筆舌し難い罪悪感までは覚えている。衝動性もさることながら、自分自身や周りに対する疑心暗鬼が引き起こしたものであると言ってよい。その様が、ひぐらし 鬼隠し編のエンドと酷似していると思っているため、はじめて該当シーンを見た時に、フラッシュバックを起こしたのだと思う。ここまでいくとPTSDの境界線をいくトラウマ。もちろん、この一連の流れで声がトリガーになっていることを考えれば、当時好きだった女性ボーカル曲をすべて拒絶したことも容易に説明ができる。わずか半月で、症状改善が後退したことをみても、精神的な気力で弾いている間は、クリアしたとは言えないことも確か。

声、音色にたいする感じ方で言えば、こういう感じ方は普通なのだろうか。理解されないと思いながら生きている自分がいることも事実。そうした中で、心身の相性、経済面は抜きとして自分自身で認識している業、共に生きるとした場合、相手の人生にどれだけ負荷と犠牲を与えるか、そうした観点から、恋愛・結婚願望は基本的には、起きない。といいながら、これが一種の自己抑圧であることを、確認するように、衝動性も絡んだ餓えを感じ取っていることもまた事実である。エニアグラム タイプ4w5の常で、自分は、常に世界のふちにいると言う認識を持っている。今日このテーマで書くのは、ここまでにしようと思う。