エニアグラムにおける性格は、4w5にも見える9w1 MBTiだとiSFP

MBTiは、ユングの類型論を基に発展を遂げたもので、アメリカをはじめ世界で最も受けた人が多い性格検査という。大学時代は、知らなかった。
エニアグラムは、分裂・後退すると4w5の傾向がある9w1であることに最近気づいた。
このことで繋がっているTwitter仲間の方からは、4と言っているけど、その方の場合4の方、MBTiだとiNFP(哲学者)の人と喧嘩別れしたことが多かったという。自分も一度その光景を見ている。多分、その時の自分の弁明を見ておそらくそう考えていたのだろうか。
そして、あるサイトの質問紙では、4と9が同スコア。
そこで、まず、ネットから検証を始めた。
エニアグラム タイプ9の特徴
こだわりのうち「平和」「安らぎ」「思いやり」「調和」「日常」「マイペース」が該当
4だと「感性の豊かさ」「ロマン」「芸術」「美意識」で4より多い
プラス面だと、穏やかで寛大、平和と調和を保つ、偏見をもたない、忍耐力がある、受容力に富む、物事を深く受け入れる、気取らず飾らない、自分も他人も信頼する、人の悪口は言わない、リラックスしている、平和で快適な空間を作る
4だと、ロマンチスト、忍耐強く支える、感受性が強い、繊細で独創的、同情心に厚い、周囲の人達の感情に敏感、他人の痛みを理解できるとまた9が多い結果に。ここでエニアグラム バイブルの1つ、エニアグラム あなたを知る9つのタイプ ドン・リチャード・リそ&ラス・ハドソン著から読み解いていく。
まず質問紙の結果で言うと4>9になる。ただ自分は、気分によって±10点は変わるため、この差は気にしなくていい傾向がある。そしてその落差はちょうど10。
エニアグラムの統合分裂の図を見ると9の人は、6のように、不安視、心配するとある。そして6は、左脳タイプでありながら、感情的でもある。ゆえに、本能が機能しないと、2-7と似てくるところがある。思考や情緒的ファンタジーによく逃避する。人との距離の取り方が、4,5,9は遊離型。ゆえに勘違いしやすい。タイプ1から4への逆行でも説明可能。
タイプ4の根源的恐れは、アイデンティティや個人的存在意義がないこと。
根源的欲求は、自分自身とその存在意義を見つけること。内面の体験に基づいて、アイデンティティを作ること。超自我のメッセージは自分に正直であれば大丈夫だ。
怖れはある程度当てはまる。欲求は存在意義を見つける以外ピンと来ない。超自我のメッセージでそうおもえたことはない。
一方の9は、根源的欲求は、喪失と別離。消滅させれれること。
昨日、体の変調と向き合いながら、長生きしたくないといいながら、まだ消えてはいけないの実感。つまり当てはまる。根源的欲求は、内面の平安と心の平和を維持すること。本やサイトによっては自分自身とその存在意義を見つける事。内面の体験に基づいて,アイデンティティを作ること。
そのための自己犠牲はいとわなかったしその通り。超自我のメッセージの周りの人が大丈夫であれば、大丈夫だは当てはまる。なぜなら、とりあえず、みんながよければいいやでよく行動するからだ。
大まかな特性。4w5は、繊細で引っ込みがち、自己陶酔的、気まぐれ、ジプシーなところはあってる。
9w1は受容的、周りに合わせる、受動的、夢見る人はあってる。
タイプ9に最も欠けているのは、強いアイデンティティ。だから唯一にてないのは9とも。
人生の葛藤から逃げ、安直な解決を探りがち。このタイプ特有の自暴自棄、受動的抵抗する傾向も。パラノイアを周りにぶつける傾向も。だらから断れない癖をなおして、ノーと言えるように。決断と優先順位を付ける練習を身近な所から始める
周囲に対する謙遜と、自分は価値がないという思い込みを区別する
自分のために行動する
無意識に受けた子ども時代のメッセージ:「自己主張するのは,良くない」
超自我のメッセージ:「周りの人が大丈夫であれば,大丈夫だ。」
自分自身の選択や欲求を軽視し,「内なる聖地」に退去することによってストレスに対応しますが,それでも対応出来ない場合は,さらなる安全や安定を与えてくれるはずの考えや人間関係に賭けるようになります。
この傾向もある。

本能の優先順位はセクシャル>自己保存>ソーシャルで、セクシャル優位のソーシャル盲点。

職場で好きだった方は、マイペース、隠れほんわかキャラで9かなと今は見ていますが、

ただ、否定的な言い方だとダメージを負いやすいので、言い方に注意が必要かも。そして、一番よろしくないのは、直接伝えるでもなしに、遠くから罵倒するような行為。これだと状況は変わらないまま、ダメージだけが蓄積してしまいます。
もちろん、つながりが崩壊してからのことになってしまうが。受動的抵抗から、徹底的に無反応、無視。不快に当たる行為をした際は、他人にひたすら言う。これが耐えられなくて、早退して遭遇しないようにした。あの頃、もうお互いに壊れて、6への後退ととれる行動してしまったなと改めて反省。

MBTiだとiSFP
ISFP 調和を願う職人
この記述は、エニアグラムの9w1と非常に近い。

魔法少女まどか☆マギカ 始まりの物語、永遠の物語を見た

Twitterに書いた1巡目感想を基に。
印象に残るシーンを順番にあげるとTV版の3話で死亡する巴マミさんの戦闘シーンから。
kalafina の未来が流れる流れから死に至るとはまず思いもしないと思う。

その場面のマミさんのセリフは、印象的なものが多い。魔弾の舞踏という屈指のアクションシーンの影響もあるけど。
劇場版では削除された

優雅に、華麗に、だって私、魔法少女だもの。

劇場版でも聴けた

私、もう何も怖くない。独りぼっちじゃないもの。

その死後、絶望を見て味わう、重く暗い展開に。輪をかけて煽るQB。愛嬌あるわ、理不尽な契約等は、まさにメフィストフェレス
この前後から劇場版オリジナル曲が増えていく。3拍子が多め。
母親とのやり取りは、母と決別する場面が1番印象的。次いで、間違え方も覚えておきな、正しすぎるその子の分も間違えてあげればいいのやりとりも。
この作品に出てくる魔女は、ゼノサーガグノーシスに近い。最終盤で出てくるワルプルギスの夜が一般人からはスーパセルにしか見えないは、ゼノサーガグノーシス虚数領域の存在で実体に触れることができないことが類似。魔法少女が絶望した成れの果てが魔女もグノーシスに近い。グノーシスだとプラス人から拒絶がある。
人魚の魔女VS杏子さんの場面の杏子さんのセリフは、1位に挙げる人も多い。

独りぼっちは......さびしいもんな......いいよ。一緒にいてやるよ......さやか

最初に魅せられたのは、TV版10話に当たる芸術家の魔女撃破シーン。絵と音楽もよくて、とてもシンクロしているから。この時に流れるCredens Justitiamに魅入られてこの作品に入った経緯があるので、とても思い出深い。マミさんのみんな死んじゃうしかないじゃないで、仲間と心中しようとする場面があるけど、自分は、マミさんが、豆腐メンタルとは思えない。と考えるのは、絶望し切っていたら、すでに魔女になっていただろうから。むしろタフに思えてくる。
10話にあたる場所以降パラレルワールドだったことがあかされるけど、この時のループのほむらさん、まどかさんのセリフは、鎮痛で印象的。

嫌なこと、悲しいこともたくさんあったけど、護りたいものもたくさんこの世界にはあったから。

この言葉は、今の職場で味わったことそのもの。だから脳裏に焼き付いて離れない。

30歳になった日

このタイミングで来てほしくなかったのが本音。社保税の分割支払いは、一歩前進に違いない。
TwitterやFBの仲間からおめでとうメッセージにありがとう。

その後の流れを引きずる日々。遅くはなったけど離れる日は来た。可能な限りの笑顔を持って。

そして2年前の初冬に贈ったこの歌を聴いて、ログを削除して、今生の別れを告げた。

自分にとって、償うって何だろう。
できる償いは、師に至る時まで祈ること。気の優しさ、献身性は時として、誤った道へ歩ませ、悪循環への因になる。この絶望感は何だろう。だから悲しみを時間のない中で、解消していかないと。

ひぐらしのなく頃に粋 プレイ動画を見た

かつて京田辺でこの作品を見たと思われる中学生が、作品同様に斧で殺害を図りアニメの第2シリーズが途中放送中止になったことでも知られる作品でもある。コミック、小説は有害図書扱いになっていることも。該当場面は、作者の伝えたいことではない。してはいけないことの最たる対比として描かれた場面であることはリアルタイムで弁明している。おそらくこの当時事件の方は、対のシーンを見ていないことも考えられるし、相当病んでいたことが伺われる。原作のコミック、ゲーム所持らしき報道があったが、無理やり関連付けたところがあるのはどうだろうか。率直に病んでいる時に、このシリーズの前半と目明し編を見るのは気が引ける。そう考える理由は、これから触れていく。
この作品は2005年年末に故郷にて実家の長兄とともに見ている。長兄がこの作品と後のうみねこのなく頃にファンだったからだ。当時失恋から来る鬱が酷かったころに当たる。2人傷つけていたことは、鬼隠し編における前原圭一と共通であったりする。暴行はないにしても。また疑心暗鬼や人間不信にも当時なっていた。実際のところ、自分は常に戦っているのだけど、あの頃はふたをすることさえできないほど酷い時期に当たっていた。竜宮レナ演じた中原麻衣さんの演技の影響も大きい。通常のほわ〜っとしたボイスから嘘だ、殺してやる連呼のギャップは、ある種の声色が耳から抜けない自分にとっては、拷問に等しかったりする。リアルでされても、パニック、精神崩壊しかかるくらいショックの強いもの。音色というものは、人の無意識にダイレクトに働きかけるものであり、自分にとって耐えがたい辛いものであり、鬼隠し編の終盤、雛見沢症候群の末期症状(以下L5)を発症した主人公前原圭一が親友の園崎魅音と、恋人かもしれない竜宮レナを金属バットで殴り殺す場面で失恋した時のやり取りを一部思い出してフラッシュバックして深夜の町家である実家で思いっきり叫んだ記憶がある。この出来事は実家の長兄が生き証人である。その後も、祟り殺し変での北条沙都子が凶行を観て「人殺し!」と叫ぶシーンや目明し編における拷問機具を用いての爪剥がしの儀式等、サイコ・ホラーシーンやグロテスクなシーンに事欠かない作品であるが、自分にとっては、1番精神的に打ちのめされた、鬱作品、精神崩壊作品という認識があって、心が病んでる人にはすすめないのはおろか、遠ざける作品の筆頭であったりする。
が、作者の主張が出てくる、罪滅ぼし編以降は、そんな状態でも見るに値すると今は思う。
罪滅ぼし編は、竜宮レナの落差をここまでかと思い知らされる作品でもあるため見るのは、結構しんどいものでもあるが、主人公である前原圭一鬼隠し編でしたことを謝罪し、竜宮レナを救う過程、また竜宮レナが、ある2人の人物を殺害したことをうけて圭一が説得する場面はシリーズ屈指の泣かせ場面でもある。というよりも泣いてしまった。初めて泣いた映像作品でもあり複雑でもある。
また皆殺し篇での北条沙都子救出劇、唯一のハッピーエンドと言うべき祭囃子編はほぼ誰にも勧められるストーリーである。目明し編ED曲でもあるyouが流れた場面すべて泣いてしまった。
そして作者が伝えたかったことは、以下

生きとし生けるもの全て幸せで 誰も涙流すこと無い場所へ

たどり着いてみせる そう信じることこそ奇跡を掴み取る力になるんだ

誰も本当に(いつでも)幸せになる権利を(たくさん)

もってるんだって伝えてあげたい もう一度両手広げて


いつかどこかの遠い世界で救えなかった あなたとも一緒に手を繋ぎたいよ

誰かがいなくていい世界なんていらない みんなが居て当たり前の日々へ行こう


あなたはどこで何をしてるの 私たちはここであなたを待ってる

今度こそみんなで幸せになりましょう 一つずつしかない心を結んで

[こころむすび]の歌詞から

原作者の竜騎士07氏も作詞に携わっているのでこれを引くのはありであろう。


この歌は、原作の各キャラ名台詞をそのままいうところがあって、それも原作者のメッセージと捉えることもできるだろう。

(圭一、このセリフは皆殺し編、祭囃編で聴ける)運命なんて簡単に変えられるんだ。
(羽入、このセリフも皆殺し編、祭囃編で聴ける)信じる力が運命を切り開く。奇跡を起こす!

自分の信仰にもある、必ずできると信じて、祈りぬくことで運命を打ち破れることを。

(梨花、このセリフは祭囃編で聴ける)この世界に敗者はいらない

仏法に即して考えたことのひとつである。あるのか?仏法は勝負。悪業をあまりにも重ねたものは今世ではなく来世に果となり現れる。そして、その逆縁を持って受持する因となり境涯革命に至る。敗者と言っても一時の姿であり、縁することで終わり変わるともとれる。このセリフは矛盾していないのだ。

映像からは

これは、皆殺し編の最初の方に当たる。セーラー服を着ているレナ、そして圭一のセリフに注目。レナのセリフは、おそらく罪滅ぼし編の圭一が発したセリフを受けてのものであろう。




35:10秒以降の圭一のセリフがそれ。このエピソードは上記感覚過敏が発動するエピソードの1つであり、途中見るの結構辛かったりもするけど、これがあるから見れるに値する。本質的にヴォツェックカフカが書いたグロイ、メンタル崩壊、100%バットエンドストーリーではないことは明らか。このエピソード自体はハッピーエンドに見えるけど、あるルールから4、この後の二編で主人公・ヒロインの立場になる古手梨花は殺され、この舞台の村は全員殺害されハッピーエンドになるのに、皆殺し篇、祭囃編とあと2ループする展開に。このエピソードからバッドエンド回避に向けて立ち上がる展開になっていくので、スターウォーズ エピソード4 新たなる希望に近い立ち位置に思えてくる。



上記の繰り返しともいえる弁明。作品中にしっかりと書いていたのは確か。これがなかったら今年の春から今に至るまでのめりこまなかったと思う。というか今でもフラッシュバックのトラウマは健在で、憑落し編のストーリーを抑えていない、落差シーン読み外れによって、憑落し編のレナ見てて、気分悪くなって発狂しかかったくらい、観るのしんどい作品なのは変わらずなので。ああ、ほんと観るのに精神力使うな。

目明し編は、このエピソードでは主人公であり、ヒロインでもある園崎詩音の最後の言葉「生まれてきてごめんなさい」がゲーテ ファウスト 第1部でのファウストの最後の言葉と酷似する、実際に恋愛悲劇である点は共通で、心が締め付けられる場面である。その後にyouが流れて、泣く泣く。

のめりこんだきっかけは、この春心が沈んでいる時に聴いた、原作およびDS以降の移植版、パチスロで泣かせどころで流れていたこの曲に心が落ち着いて、元々持っていたPC版のサントラをヘビーローテーションしたといういつもの音楽ありきな自分らしい理由からでした。youは、リアルタイムでサントラも手に入れたし、当時それなりに聴いていて、仕事廃人脱出後の虚脱期間の時も、久石譲 Summer,Air夏影 -Summer lights-とセットでよく聴いていたので、元々とても好きな曲でした。、ユーロビート小室哲哉氏の楽曲でよく聴ける通称小室進行でゆったりテンポにするととても和みます。夏でなくても、哀愁一杯で不思議と聴いていて和みます。沈んでいる時は、この3曲の中で個人的には最もフィットします。元々この作品の出題編である祟り殺し編のEDにつけるイメージから作られたそうで、レクイエムとしての意味合いがあるからでしょうね。

その後

失恋から心身壊しました。書く気力も失せて。また似たような業をだす。
スマホからTwitterコピペ後日気力あれば修正。

一つ目は、エレイン・N・アーロン著 ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへから。これまさにご当人もそうかなと思いながら読んでいたり。HSP、繊細で感受性が高くて傷つきやすい人について、また生きやすくなるためのキーワードが書かれている。自分は、HSP該当エンパス非該当。
乳幼児的なカラダとしての自己からまず最初のアドバイスを受け取る。
刺激をコントロールする方法を探したり、自分に苦痛をあたえるものごとをやめてもらうようにしたり、気持ちを落ち着けることに集中して、ひとつずつ片づけていくようにしたり対処法を見つける。
社会的な場面で神経の高ぶりすぎに対処する5つの方法
神経の高ぶりすぎは恐怖とは別物であることを思い出す
気持ちを落ち着かせるいつもの方法を使う 散歩したり、祈ったり、好きな音楽と香りにうずめる等
ペルソナを作り、意識的にそれを使うようにする
自分の特徴を他人に説明する。
HSPの恋愛と友情から これは自分が今身につけないといけないことかも知れず一般的にはより激しく恋に落ちるとのこと、思い当たりあり過ぎ。ヘッセの荒野の狼に詳しいとのこと。それを防ぐ1番の方法は、なるべく外の世界に出てみること。肉欲や官能は内なる目標や内なる人物の代わりにならない。

子どもの頃に叶えられなかった強いニーズを恋愛に持ち込んでいないか。耳に痛い。
激しくなりやすい理由として、神経の高ぶりを恋にしたがること、自己評価の低さ。
恋愛でも友情でも陥りやすいこととして、相手を喜ばせようとすると自分のニーズが見えなくなる。逆もまた然り。

お互いにギクシャクすることだと思うこと。きっと今回は、お互いに行き着けなかったと考えたりする。
勝手に会話の行き先を想像して、悪い方に決めつけがちな時、
それを認識し、それ以外の可能性も想像してみること。
また、相手に正直な話すこと。
できてたかな、今回。
反映的傾聴も。詳細書かないけど全然できてない。この本でピックアップして、今心に入って来るのはこの辺り。いずれも、前好きだった方の無反応に起因する強い抑鬱、躁鬱感のあるなかで読んだ。5冊を4-5日くらいで読んだ。
2冊目は精神科医が教える「愛する人と幸せになる」55のルール水島広子著より
愛されたいと思えば愛されていることに気づけない。試すのNG。見返りを求めるくらいなら、尽くすのはやめよう。怒りの裏に困りあり。自分が何に困っているのか考えて相手に伝えること。率直に話すこと感情をぶつける別。

繋がっていなくても幸福を願い祈ることはできる。ご当人含む死にたい一斉RT含むTL見た時からその点の気持ちは、今も変わらないかな。ただ、自らの業病に由来する、デリカシーのなさと、気づいてごめんよ。と。ここまで整理できたから1週間あれば立ち直れると思う。精一杯生きることは罪滅ぼし。

http://youtu.be/c7XfHVGsNo8

教学1級試験、恋沙汰諸々

まず、恋沙汰から入ろうか。
過保護過干渉な環境で育ち、それをそのまま引き継いでしまったこと。自尊心の欠落からくるジェラシーの強さ。その結果、生理痛が悪化していた相手に、その期間に2度の胃腸炎に追いやった自分。そもそもそのキッカケに大きく関与した人物から拡散していき、すべてを壊された感がある。今の職場は、職場恋愛をするには、村社会過ぎて過去よかった例はない。最後は不倫でした本人が家庭崩壊を起こすに至ったのであるが、1人の女性を巡り、3人とも破滅の道を辿った。
ともあれ、相手を悲しませたくない、そう思って立ち直っていこうとした。どんどん崩壊に向かって加速しゆく職場。何度も凹む、相手に観られて更に凹む。胃の痛みが、生まれて未経験の域に到達。自分のQOLが高くないと、相手の幸せや楽しいことを、そのまま受け止められないこと等、感じたことは多い。

教学1級試験は、その沈んでいるど真ん中で受けた。創価新報の要文の熟読、Pro Toolsで録られたことからどこかのスタジオかな女子部有志の方の朗読と。バスタイムに聴いていたのであるが、こういう状況で聴いていたのが災いして聴くのがきつかった時もあった。1番勉強できなかったものの、結果は合格。未だに実感はわかない。

最初の話に戻そう。
非言語的コミュニケーション能力の低さはやはり問題だ。違う形で補完していかないといけない努力は惜しまなかった。しかし、相手のサインに気付けなかったのだ。連動してソーシャルスキルの低さも。
健全な自尊心、自己愛は必要だ。これがあれば、ジェラシーもなくなり、ありのままの自分を受け止め、相手を受け入れられるようになっていくはずだ。


もうボディタッチが起きても心拍数のコントロールはできそうだ。22日朝に検証できた。今はただただ、相手の幸福を祈るのみ。
今後、HSP関連で考えたことや、FF9関連で書いて行く予定。書く気力を失っているので、止まるかもしれません。

Final Fantasy 9 独りじゃない


Border of Mad 更新できなかった間の頃から今に至るまでほぼ毎日見ていた動画である。
中2-3にFF9のサントラに夢中になって聴いた頃があった。この曲のタイトルは独りじゃない。それがイベント名としても呼ばれるようになったのだろう。中学の頃にこのシーンを知らず、この曲はクサ過ぎるなと敬遠気味であったと記憶する。
今年6月観ていた頃、まさに燃え尽きてカラッポになっていた。やっている感情に憑りつかれて八つ当たりも相当していた。リアルジタンだったよな自分。Disc3 冒頭でやけになっている時のジタンともども。