かつて京田辺でこの作品を見たと思われる中学生が、作品同様に斧で殺害を図りアニメの第2シリーズが途中放送中止になったことでも知られる作品でもある。コミック、小説は有害図書扱いになっていることも。該当場面は、作者の伝えたいことではない。してはいけないことの最たる対比として描かれた場面であることはリアルタイムで弁明している。おそらくこの当時事件の方は、対のシーンを見ていないことも考えられるし、相当病んでいたことが伺われる。原作のコミック、ゲーム所持らしき報道があったが、無理やり関連付けたところがあるのはどうだろうか。率直に病んでいる時に、このシリーズの前半と目明し編を見るのは気が引ける。そう考える理由は、これから触れていく。
この作品は2005年年末に故郷にて実家の長兄とともに見ている。長兄がこの作品と後のうみねこのなく頃にファンだったからだ。当時失恋から来る鬱が酷かったころに当たる。2人傷つけていたことは、鬼隠し編における前原圭一と共通であったりする。暴行はないにしても。また疑心暗鬼や人間不信にも当時なっていた。実際のところ、自分は常に戦っているのだけど、あの頃はふたをすることさえできないほど酷い時期に当たっていた。竜宮レナ演じた中原麻衣さんの演技の影響も大きい。通常のほわ〜っとしたボイスから嘘だ、殺してやる連呼のギャップは、ある種の声色が耳から抜けない自分にとっては、拷問に等しかったりする。リアルでされても、パニック、精神崩壊しかかるくらいショックの強いもの。音色というものは、人の無意識にダイレクトに働きかけるものであり、自分にとって耐えがたい辛いものであり、鬼隠し編の終盤、雛見沢症候群の末期症状(以下L5)を発症した主人公前原圭一が親友の園崎魅音と、恋人かもしれない竜宮レナを金属バットで殴り殺す場面で失恋した時のやり取りを一部思い出してフラッシュバックして深夜の町家である実家で思いっきり叫んだ記憶がある。この出来事は実家の長兄が生き証人である。その後も、祟り殺し変での北条沙都子が凶行を観て「人殺し!」と叫ぶシーンや目明し編における拷問機具を用いての爪剥がしの儀式等、サイコ・ホラーシーンやグロテスクなシーンに事欠かない作品であるが、自分にとっては、1番精神的に打ちのめされた、鬱作品、精神崩壊作品という認識があって、心が病んでる人にはすすめないのはおろか、遠ざける作品の筆頭であったりする。
が、作者の主張が出てくる、罪滅ぼし編以降は、そんな状態でも見るに値すると今は思う。
罪滅ぼし編は、竜宮レナの落差をここまでかと思い知らされる作品でもあるため見るのは、結構しんどいものでもあるが、主人公である前原圭一が鬼隠し編でしたことを謝罪し、竜宮レナを救う過程、また竜宮レナが、ある2人の人物を殺害したことをうけて圭一が説得する場面はシリーズ屈指の泣かせ場面でもある。というよりも泣いてしまった。初めて泣いた映像作品でもあり複雑でもある。
また皆殺し篇での北条沙都子救出劇、唯一のハッピーエンドと言うべき祭囃子編はほぼ誰にも勧められるストーリーである。目明し編ED曲でもあるyouが流れた場面すべて泣いてしまった。
そして作者が伝えたかったことは、以下
生きとし生けるもの全て幸せで 誰も涙流すこと無い場所へ
たどり着いてみせる そう信じることこそ奇跡を掴み取る力になるんだ
誰も本当に(いつでも)幸せになる権利を(たくさん)
もってるんだって伝えてあげたい もう一度両手広げて
いつかどこかの遠い世界で救えなかった あなたとも一緒に手を繋ぎたいよ
誰かがいなくていい世界なんていらない みんなが居て当たり前の日々へ行こう
あなたはどこで何をしてるの 私たちはここであなたを待ってる
今度こそみんなで幸せになりましょう 一つずつしかない心を結んで
[こころむすび]の歌詞から
原作者の竜騎士07氏も作詞に携わっているのでこれを引くのはありであろう。
この歌は、原作の各キャラ名台詞をそのままいうところがあって、それも原作者のメッセージと捉えることもできるだろう。
(圭一、このセリフは皆殺し編、祭囃編で聴ける)運命なんて簡単に変えられるんだ。
(羽入、このセリフも皆殺し編、祭囃編で聴ける)信じる力が運命を切り開く。奇跡を起こす!
自分の信仰にもある、必ずできると信じて、祈りぬくことで運命を打ち破れることを。
(梨花、このセリフは祭囃編で聴ける)この世界に敗者はいらない
仏法に即して考えたことのひとつである。あるのか?仏法は勝負。悪業をあまりにも重ねたものは今世ではなく来世に果となり現れる。そして、その逆縁を持って受持する因となり境涯革命に至る。敗者と言っても一時の姿であり、縁することで終わり変わるともとれる。このセリフは矛盾していないのだ。
映像からは
これは、皆殺し編の最初の方に当たる。セーラー服を着ているレナ、そして圭一のセリフに注目。レナのセリフは、おそらく罪滅ぼし編の圭一が発したセリフを受けてのものであろう。
35:10秒以降の圭一のセリフがそれ。このエピソードは上記感覚過敏が発動するエピソードの1つであり、途中見るの結構辛かったりもするけど、これがあるから見れるに値する。本質的にヴォツェックやカフカが書いたグロイ、メンタル崩壊、100%バットエンドストーリーではないことは明らか。このエピソード自体はハッピーエンドに見えるけど、あるルールから4、この後の二編で主人公・ヒロインの立場になる古手梨花は殺され、この舞台の村は全員殺害されハッピーエンドになるのに、皆殺し篇、祭囃編とあと2ループする展開に。このエピソードからバッドエンド回避に向けて立ち上がる展開になっていくので、スターウォーズ エピソード4 新たなる希望に近い立ち位置に思えてくる。
上記の繰り返しともいえる弁明。作品中にしっかりと書いていたのは確か。これがなかったら今年の春から今に至るまでのめりこまなかったと思う。というか今でもフラッシュバックのトラウマは健在で、憑落し編のストーリーを抑えていない、落差シーン読み外れによって、憑落し編のレナ見てて、気分悪くなって発狂しかかったくらい、観るのしんどい作品なのは変わらずなので。ああ、ほんと観るのに精神力使うな。
目明し編は、このエピソードでは主人公であり、ヒロインでもある園崎詩音の最後の言葉「生まれてきてごめんなさい」がゲーテ ファウスト 第1部でのファウストの最後の言葉と酷似する、実際に恋愛悲劇である点は共通で、心が締め付けられる場面である。その後にyouが流れて、泣く泣く。
のめりこんだきっかけは、この春心が沈んでいる時に聴いた、原作およびDS以降の移植版、パチスロで泣かせどころで流れていたこの曲に心が落ち着いて、元々持っていたPC版のサントラをヘビーローテーションしたといういつもの音楽ありきな自分らしい理由からでした。youは、リアルタイムでサントラも手に入れたし、当時それなりに聴いていて、仕事廃人脱出後の虚脱期間の時も、久石譲 Summer,Airの夏影 -Summer lights-とセットでよく聴いていたので、元々とても好きな曲でした。、ユーロビートや小室哲哉氏の楽曲でよく聴ける通称小室進行でゆったりテンポにするととても和みます。夏でなくても、哀愁一杯で不思議と聴いていて和みます。沈んでいる時は、この3曲の中で個人的には最もフィットします。元々この作品の出題編である祟り殺し編のEDにつけるイメージから作られたそうで、レクイエムとしての意味合いがあるからでしょうね。