かぐや姫の物語を見る

と、いうことで見てきました。
見たくなったキッカケは、「風立ちぬ」を観た時、予告編に圧倒されたのがキッカケでした。
これがなかったら、見ていなかったと思っています。

この作品は、時代考証、その当時の人の言葉づかい、話す速さ、所作と言った確証が取れないために、アニメーションにするのは不可能と言われている作品。
実写も、CGも無理があるとのこと。
なので、この作品に挑戦することは、映像作品の限界に挑むと言っているのと等しいらしいです。



以下、ネタバレ。映画を見るまで読みたくない方は、スルーを。
この映画では、ジブリ作品での御定番も数多くみられました。
駆け抜けるシーン。「アバタ―」を手掛けたキャメロン監督もほれぼれしそうな飛行シーン。おいしく食べるシーン等々。
月から地上に飛ばされた理由は、「地上へ行ってみたい」という好奇心から。穿った解釈をすれば、月の世界で不倫をした見方も。
自然と戯れる姿、都で箱入り娘になって寂しがるかぐや姫の姿は、監督も言っていた通り、ハイジそのもの。
地上でも、5人の求婚者に難題を与え、苦しめたことに罪悪感を覚える様、また大切にしようとする者たちの想いがすれ違う苦しみ、大切な物扱いされる苦しみ。
一度は、地上に降りることを願いながらも、帝の求婚を受けた際に、嫌だと願い、いたかった地上から離れる苦しみ。
仏教でいう、娑婆世界は穢土。ここから、一神教の言葉に置き換えることもできるかな。
大好きな人たちと自然とともに生き、喜怒哀楽を分かち合い、生きる喜び。
風立ちぬ」とは打って変わって淡々とは正反対の話の流れ。
予告編の映像は、中盤のクライマックスにあたる場所。
水墨画のようと言われるけれども、動物や人が自由自在に、動く様は鳥獣劇画に通じるし、淡い自然の美しさは、大和絵の世界観にも通じるように思いました。その上で言えば、キネマ旬報を読むと、大和絵水墨画を意識したこと、線で描くことを徹底したことが伺えた。こうした画風は、「ホーホケキョ、となりの山田くん」、「おもひでぽろぽろ」回想シーンに淵源があることも。
そして、BGM。シンクロ率の高さは、言うまでもないのだけど。
コルンゴルトやシュレーカーの音楽のようにとてもキラキラしていて、メロディは、ヨナ抜き、昔ながらの日本のスケールがでていて、とても繊細で情緒的。
都の祭りの調べでは、神楽や雅楽のエコーが聴こえてくる。
スト−リー終盤の月からの使いが奏でる調べ。
ケルト音楽のハーモニーのようにシンプルで美しい。調性は若干違う気がしているのだけど、その調べは、岡崎律子さんのfayのブレイクのコーラスように一見長調に聴こえて、とても儚くて悲しい。この編は、サントラレンタルが解禁次第、もう少し聴き込んで検証予定です。
主題歌を歌ったシンガーソングライターこと二階堂和美さんは浄土宗の尼でもあるらしいのですが、それゆえか歌詞も世界観にぴったりな印象。ふんわりした声も、個人的な好みを抜きにあっている印象。
この流れで、帰宅中は、シュレーカー ヴァルス・レンテをヘビー・ローテーション。


服装は、中国やインドを意識していて、主の姿は、如来だったり。

個人的には、「風立ちぬ」よりも、子どもも楽しめそうな印象。テーマゆえに、人の数だけ意見は割れると思いますが。
映画館のスクリーンで観たことは何よりも得難い思い出になりました。