物思いにふけりながら、祈る


 J.S.バッハ平均律クラヴィーア曲集第1巻を聴きながら、作成中。フーガは、フーガの技法を聴いた後であるからか、カノンに目が向いているからか、あまり心に残らない。まだ努力不足か。しかしプレリュードが、心の中に入ってゆく。プレリュードを足がかりにじっくり聴いていきたい。


 さて、ここからが、本題だ。


 人間は負のスパイラルに陥ると、脱出するのは至難。そして脱出して、上を向いていくのは大変にも関わらず、落ちるのは、あまりにも簡単。「建設は死闘、破壊は一瞬」とは、まさにそうした様を、簡潔に表しているように思う。


 さて、現状は、たくさんの宿題をしなければならない状態。同じことのループになってはいないか、朝早く起きれていない等々、だから結果的に負けるの言葉が脳の中を走り抜ける。失望し、何もできてはいない、はたして生きている意味があるのか、自分に突きつける、この終わることのない繰り返し。自信のなさであるとか、すべてが愚痴と化していること。そうした状況に追い込んでいるものをあげればきりがないであろう。


 人並みに生きることは、少なくとも今はできないだろうという結論に行き着く。では、少しずつ近づいて行くには。自問自答。ありのまま、いつもよりも10分以上集中して祈る時間をつくりあげる。2日前は、しても完全に形だけになっていたことを、とても罪深く感じていた。


 少しだけ元気を頂く。できることを死んででもしようとの結論に行き着く。現状を考えれば悲壮感がかなり高まる。このループを止めよう。こうれだけである。これができなくては、前に進むことなどできないからだ。


正気と狂気の狭間の中で、耐え抜いて、この壁を勝ち越えよう。今は、それだけだ。



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