Mahlar Sinfonie NR.10 & Milton Babbitt,John Cage

20世紀、だんだん調が消えていき、普段から聴いていたい芸術音楽は姿を姿を消した。
今日は、そうした曲に耳を傾けたい。

まずは、マーラー交響曲第19番から。この頃には、無調に近い部分がかなり増えている。この曲の最後の10分くらいから流れるこの世ならぬ雰囲気が漂っている、たとえようもなく神秘的で感動的な、痛いまでに美しい旋律であるからまだいい。その点は、マーラーの第九よりも好き。
Mahler Symphony No. 10 7/8

http://www.youtube.com/watch?v=0eK6xuU6HEE&fmt=18


Mahler Symphony No. 10 8/8

http://www.youtube.com/watch?v=rgD-A01KlU0&feature=related&fmt=18


ここからは、その後の前衛音楽の極致とも言える曲を。
まずは、数学理論を用いた音楽、そして日本の声明で取り上げた、ミルトン・バビットの作品から。


Milton Babbitt - Philomel

http://www.youtube.com/watch?v=6Rd5_9hyWm0&fmt=18


音響は、言語のように文節的であり、言語は音響に変形される。論理的に楽曲を構築した最たる例ではないだろうか。論理的に組み立てる姿勢以外は、好きになれないけれど。なお、この曲が収録されているCDは購入予定。


トリビアにも出てきた、4分33秒無音の曲を生み出したことで知られるジョン・ケージの作品から。


John Cage: Atlas Eclipticalis (1962)

http://www.youtube.com/watch?v=epBkVgfoXNk&fmt=18
この曲は、図書館で借りられたので、手にとって聴いた。不思議な響きのする曲。普段から聴きたいとはこれも思わない。ジェイムズ・レヴァインの指揮で聴いた。

ケージの作品は、例えば、作曲の時にコインを投げて音を決めてゆく、紙のしみを音符に見立てて音を選んでゆく、五線譜ではない図形楽譜を用いて奏者の即興に任せるため、アドリブの塊とも言える。

調整を破壊したら、東洋の響きにも似た響きに感じる時がある。それでも、メロディがないのは辛い。こうした作品を聴く際に求められることは、そのサウンドを聴いて相手の考えを理解することに絞られ、美しくはないから。



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