ゲーテの格言 6、Blogでの発信について思索

人間は、生来のものであるばかりでなく、獲得されたものでもある


ゲーテ格言集 ([格言と反省から)】 P21 人間と人間性について ゲーテ著 高橋健二編訳(新潮文庫)】

この話を聴いて即座にイメージをするのは、話を聴いたことがある人が、いると思いますが、アマラとカマラです。


人間が交わす言葉によるコミュニケーション。マナーといった身の振る舞い。直立歩行。他にも、人間特有と言えることは、数多くあります。確かに、人間は、そうしたことをすることに適した進化をしてきました。しかし、それも、ある一定の時期までに、親などの養育者の関わりがなければ、ほとんど身につけることができません。


ここからは、180度話は変わり、あからさまな他ブログからの転載・引用を止めようと決めてから、もう2ヶ月ほどたちました。その理由には、著作権のこともあります。とはいえ、引用の比率が全体の4割前後にすることは、大変な方も多いと思います。スピーチ引用時の比率の多さは課題の一つであり、もちろんポイントに絞れていないことも課題の一つです。他板で類似した話をここ数日見ていました。


そんなおり、取り上げているブログがありました。
今、ネットで発信する意味
誰に発信するかどうかを明確にしないとラビリンスになるのか?
(もちろんリアル優先)ネットでどんな形でもいいからアクションを。その後、何らかの自己紹介にあるようなブログをと続いています。ブログはオプションをつけなければタダ(私はつけていません)。ただ学会員であることを明言すれば、アンチが反応することもありますし、他にも気をつけなければいけないこともあるわけです。ただ、うまく使えば、視野を広げたり、考えていることをまとめて頭の整理にはなると思います。はてなは非公開で、することもできるわけです。


誰に発信するかを明確に。法に触れることは論外として、確かに、自分勝手に何を書いても良いわけです。誰かのためにも、自分のためにもでもいいわけです(自分のために、自分だけ見ればいいであれば、非公開が一番適切)。書いていく中で、情報収集力や文章作成力があがる可能性もあります。「決定権は、受け手」にあるわけです。とはいえ、書くのであれば、発信者も考慮していく必要があるのではないかと考えます。結果として当たり障りのないことしか欠けなくなり、トラブル防止や運営を楽にするために、パスワード付きから始まり、果てには、パスワードがないと見られない形にしていくことがあるのだと、考えます。



今、具体的に想定しているのは、今いる地に暮らしてからお世話になった同志の方々、そして学会系BBS・blogを介して知り合った方々です。そして、自らの思索の整理、仏法・芸術をテーマにフラットに語れれば良いと思っています。ただ、公開しているブログであり、コメントやブックマーク、スターをつけることなく見ている方もいるわけです。もちろんアンチも。公開している以上、誰に発信するか絞っていても、想定してない方に見られるのは、予想ができることであり、それは掲示板でも同じであると考えます。そこで書くことは、たとえ一人であったとしても、周りに常に見られていることを考慮して書かなくては次第にいけなくなります。これからは、今まで以上に、その時々に応じて絞りつつ、誰もがみていることを意識して書いて参りたい。目指すものは、様々な考えがある中での最大公約数に近づけていくこと。そして、その上で、始めた意義を忘れないことではないかと、思うのです。


先週、唱題40分6日クリアできたのは、一歩前進。更なる高みへ!!



にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
スカウター : 信心の王者たれ!