御書と師弟 第25回 普賢の英知

8.31「学生部の日」おめでとうございます!!

御聖訓

此の経の広宣流布することは

普賢菩薩の守護なるべきなり

(御義口伝 P780)

妙法を閻浮提(全世界)に行じゆくことは、普賢菩薩の守護によって成し遂げられるのだ、との御予言であります。


【2009.8.30 聖教新聞 池田名誉会長講義 御書と師弟 第25戒 普賢の英知(聖教新聞社)、以下同】

改めて、様々なことを学んでいかないといけないと、考えました。特に読書に励んで参りたい。

第1に、普賢とは行動する「誓願の知性」である。

第2に、普賢とは、勇敢なる「正義の知性」である。

第3に、普賢とは、誠実なる「人間尊敬の知性」である。

普賢とは、勇敢に誠実に行動する知性のことを、言います。毎日、誠実に人と接しているのか、勇猛果敢に行動しているか、精査して参りたい。

真の「知性」とは、単なる知識ではない。「誓願の行動」「正義の連帯」「誠実の振る舞い」―こうした「普賢の生命」を脈動させた、人間としての総合力なのであります。

私は、雑学王とよく言われますが、ここで挙げられている点、そして知識を生かす知恵に欠けていること、毎日思い知らされる日々を送っています。知識は、人間力によって、開花するのです。

戸田先生は「最も偉大な人とは、結論するに、青年時代の信念と情熱を、生涯、失わない人だ」と明言されました。

今の夢と理想実現のために、死ぬ時その時まで、走り抜く。思いを改たにすると同時に、背中を押されました。

普賢品の正式な題名は「普賢菩薩勧発品第28」。「勧発」とは「勧め発させる」。つまり「励まし」という意義に通じます。大事なのは「励まし」です。(中略)
普賢菩薩とは、溌溂たる「励ましの知性」です。

励ましが、苦手であることを痛感すると同時に、そうしたことをできていけるようになっていくなかでしか、私の夢は、実現のしようもありません。微細な変化を読み取り、相手の苦しみを取り除き、楽しみを与えること。頭をフル回転させて、元気づけていく。


今日、やはり悲嘆の言葉を目にしました。
天知る、地知る、我知る、人知るです。誰も見ていないところ以外では、泣かないと、2年前の7月末に決めました。あの時も、ベストは尽くしたものの、結果は惨敗。まる1日悩んだあの時の思いは忘れません。

泣かないと決めた理由の1つは、
創価の森の小さな家 8_30のコメント欄にて里奈子氏が引かれたエピソードとそれとは直接関係はありませんが、池田先生が作詞された滝の詩の最後の一節の

男は 王者の 風格を 持て

【作詞:山本伸一 滝の詩】

です。生まれてこのかた、男性らしさにいい意識はありません。そこでどう捉えたらいいのか悩んだことがあります。悩んで出した結論は、良い意味で〜らしさを、吸収していくことは大切でその上で、信心から外れなければ、私らしく行けばいい、そう思います。


生来、泣き虫であり、実際は、できていないことがとても多いです。
それでも、泣かないと誓い、前に進みます。
自らの感傷癖に負けません。

魔来り鬼来るとも騒乱する事なかれ


日蓮大聖人御書全集 聖愚問答抄 P500】

今は、苦渋かつ悲痛な決断をする時であると思いますが、師弟・信心が破れたわけではありません。常勝関西の歴史は、大阪事件前の敗北から負けじ魂で常に勝ってきたから、常勝関西と呼ばれたのだと思います。負けは、勝利の因にしていけるものです。その根本は祈りと団結。
またそれは、本日の聖教新聞のTOPを見て、改めて思ったことでもあります。
苦しみが大きければ、大きいほど、喜びもまた大きいものになります。
苦渋の日々こそが、宿業を洗い流し、成長できることを、真っ直ぐに信じて、悠然と果敢に独立独歩でひた走りましょう。未知なるフィールドへ、更なる高みへ向かって、今日も一歩前進!!


PS:ロリン・マゼール指揮ウィーン・フィル演奏によるシベリウス、カレリア組曲 行進曲風にを聴きながら。



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