模範と言えるものある意味消えたり

これは他でもない、斧節停止のこと。
私自身、ある時期までフォロワーだったことを知っている方は多いと思う。今、blogspotで、覚書らしきものを書いていることも存じ上げている。
前の職場では、ここでも度々書いていた通り、職場に4日間居続け、睡眠時間1日あたり1時間、その他2日間もそれぞれ17-20時間動き続け、休日は、12-20時間寝たら仕事と言う日々を送っていた。去年の3.11も、6日間17時間以上耐久という中で迎えた。それが当たり前の狂気に等しい気の中で生きていた。さて、3.11の頃から次第に読まなくなっていたと記憶する。クリシュナムルティとも出会いからがらっと変わった印象を持つ方も多いと思う。私もその一人。相手の意図を考えずに書いたことそのまま読む力は、平均値以上を自負しているのであるが、真意はわからなかった。例によって、何が分かっていないのかすらわからなかったため、質問さえできなかった。質問する気力もなかったのであるが。脱線した理由は、皆がピンとこないものであるがゆえに、問に答えることができなかったり、クシュナムルティがもつ脱組織思想、リバティ指向に氏が魅かれたこともあると思う。

私は、こう思う。これは、私がインテグラル思想の信奉者でもあるからだが、各々がネット・リテラシーを身に着けることとあらゆる異なる考えを止揚する力*1をつけていれば、脱線を防げたかもしれない、と。
また、己の心を師とすることなく、自己顕示欲を、自己制御できれば、こういっった結果とはまた異なる結果になったのではないだろうか、と。
そして、今、私たちにこれらがますます求められようとしている。
独断と偏見になってしまうのであるが、今覚え書き・思索ブログとして注目しているのは、思索の海辺心の薬Doversoty.実際に、今も最前線で動かれている方々だ。

これから書く内容の中で、脱線気味であると思っている、夢への探求に関することを除いては、かつて私がリスペクトしてやまなかった思索ブログの当初のコンセプトの更なる進化・深化である。


私の職場の課題ともリンクすると、思っている。仕事の負荷が日に日に増えていく中で、キチンとスピーディーにこなし、来た人に喜ばれることは、もちろんのこと、メンバーひとりひとりがwin-winの関係を構築し、QOLを上げていけるかである。ここにそれをそのまま書けるわけでは決してテーマ。これらは、ラインの戦いと繋がることを、職場の中で非違感じてやまない。もちろん、私の場合、広汎性発達障害者の常で人をマネージメントする力は、0に等しいことを知っている。マネージメントとできなくてもいい、その中で、何をなすべきか。

*1:ディベート力、思考を抽象化する力、実行能力