2012年 戸田記念国際平和研究所のパリ国際会議から

これは、2012.2.10 聖教新聞に掲載された講演から。さて、本題。

ネスター・トーレス氏のスピーチから抜書き。

私は長い間、自分自身の心の中で平和を築くことが大切だと思い続けてきました。

仕事廃人、反動による虚脱状態、蘇生へのプロセスで、心が平和になったことが実際に、大きな影響を与えていたようになりません。何事も楽しんで生きる出発点のようにも思えてきます。

(中略)
戸田氏が、「人間革命」とは、平和を勝ち取るための絶え間ない戦いであると主張されたように、それはまさに現実社会との熾烈な精神闘争に他なりません、私はこの思想こそ、戸田氏が呼びかけていた「地球民族主義」のビジョンの中核をなすものだと考えます。
 この戸田氏のビジョン、そしてこれを現代に展開した戸田平和研究所の創立者・池田SGI会長の思想に深く触発を受け、私は、世界平和と価値創造のために自身の音楽と人生を捧げたいと決意するようになりました。

この後、大きな困難で出会った直面した時の体験から。

「私も、演奏を聴いていた人が、その瞬間から『心の癒し』を得られるような音楽を作っていきたい」

戸田先生の言葉の引用

「人類の平和のためには、"具体的な"提案をし、その実現に向けて自ら先頭に立って"行動"することが大切である」

その後、実際にさまざまな宗教の礼拝所に赴き、フルートの即興演奏行ったエピソードが綴られ

2004年には、仏教の精髄で生命尊厳の思想を説いた「法華経」をテーマにした音楽も作曲したこともあります。

そうしてうまれたのが、LOTUS SUTRA OF THE WONDERFUL LAWです。ニコでもアップされていたので、そちらでも聴けるかもしれません。

Nestor Torres - LOTUS SUTRA OF THE WONDERFUL LAW
アメリSGIでは、こうしたこともおこなわれているようです。
他にも

Wisdom by Herbie Hancock with Thresher Sharks
この曲は、wikipediaからの引用になるが、参加ボーカリストによる法華経池田大作による解説文の朗読とハービーのキーボード演奏のみの曲とのこと。

そして、9.11のテロ事件から10年後に、音楽や対話や教育を通じてより良い社会の建設を目指す「ネスター・トーレス財団」を設立し、「新しいルネサンスのためのコンサート」と題するイベントを開催してきました。

これらの活動を行う上で私が常に念頭に置いてきたのが、池田SGI会長の言葉です。
「癒された平和な心から『謙虚さ』が生まれ、聞く心から『相互理解』が生まれ、相互理解から『社会の平和』が生まれる」「非暴力は、最高の謙虚さであり、それが最高の勇気なのである」

私自身、仕事廃人から、虚脱状態から解放されたときに、平和な心から、謙虚さと相互理解が生まれました。常に殉教者の純粋で平和の心を持ち続けたいと思います。

ここからは、池田先生のスピーチに移ります。

音楽はいかなる形式にもとらわれない。それは諸々の社会の歌であり、歴史の花である。それは人類の苦悩にもその歓喜にも声を上げる」(野田良之訳、『ロマン・ロラン全集21』みすず書房)

音楽ほど、数学的形式的な芸術を他に知りません。それでもロマン・ロランはいかなる形式にもとらわれないといった意味は、ありとあらゆる感情を吐露するに当たり、その手段は、問わないし、問われないことからではないでしょうか。その象徴が、自由な無調とも言われている、不協和音の解放をした表現主義であり、前衛音楽に代表される新しい音響の追及であったり、その対極のような自然音の模倣であったり。

*1困難や決断の時間に、涸れることない力と信念との泉であるこの音楽から、どれほどまた別の使信が私たちのもとへ送られてきたことか」
「私のうちの最善のものは、ベートーヴェンに負うところのものである」(佐々木斐夫・原田熙史訳、『ロマン・ロラン全集25』みすず書房)
試練に遭って人間の心を鼓舞し、希望の未来への道を開く"内なる善性"を呼び覚ますもの―それが芸術、なかんずく音楽であります。

ベートーヴェンの晦渋な大フーガにも、弦楽四重奏曲第14番にも、その力強き力と信念があります。対位法の魔術師の異名を持つ、ブルックナー、セルゲイ・タネーエフの両交響曲にも、第二次世界大戦から解放されたコルンゴルトが手掛けたヴァイオリン協奏曲にも。

歌や音楽が不屈の闘志の源泉となり、"自由を勝ち取り、社会の変革を後押しする力"となることは

(中略)

加えて音楽には、国境や文化の差異を超えて人間の心をつないでいく力があります。

人の好みで分断する力も存在しますが、お互いに聴き合えば、霧が晴れて、手と手をつなぎ合わせることができることを、私たちは知っています。シベリウスも著名ですが、オーストリア帝国内では、スメタナヤナーチェクがいます。

私が思うに、音楽の放つ光は、どんなに状況が苦しくとも、「厳しい冬の後には必ず春が訪れる」との思うを人々に呼び覚まし、単に未来を明るく照らす力を持つだけでなく、"今、生きている瞬間"に限りない希望を灯し行くものではないでしょうか。

第2次世界大戦の後半に始められたウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートは、間違いなく現地の人々に、光を灯したはずだ。今では、世界へ。その享楽的で楽天的な調べは、戦争やいじめをしているのがバカバカしくしてくれます。コルンゴルト楽天的な調べもそうですが、そうしたことがバカバカしくなるくらい享楽的で楽天的な調べは、ウィーンひいてはヨーロッパに通底する文化ではないでしょうか。
それぞれ未完、遺作になりますがが、マーラー交響曲第10番補筆版のフィナーレ、ブルックナー交響曲第9番補筆版のフィナーレ、ショスタコーヴィチ ヴィオラソナタのフィナーレ、それぞれの最期ようやく訪れる長調への転調がもたらす、開放感。ブルックナーは神々しさと安らかさを湛え、マーラーショスタコーヴィチの小さな光に安らぎと希望を与えるような深遠かつ透明感溢れる調べは、私たちに、希望を灯してくれます。それは、近年話題となり、私も取り上げている、佐村河内守 交響曲第1番"HiROSHiMA"のフィナーレのコラールにも同じことが言えると思っています。
ネイティブ・アフリカンの力強いリズムは、私たちに、消えていた心の高鳴り、躍動をくれます。

*1:ナポレオンがウィーン占領時に書き上げた協奏曲のアダージョ