KORNGOLD Sinfonietta b-dur Op.5


Malaysian Philharmonic Orchestra: Korngold "Sinfonietta" Complete .
緻密ながら、爽やかかつ軽やかでメロディアスなロマン派の作品を探していた。
昨日貼り付けた、シェーンベルクの師匠であるツェムリンスキー 交響曲第2番や、その師であるローベルト・フックス 交響曲第3番は、その点でいいなと思っていた。

このコルンゴルトは、この大管弦楽のためのシンフォニエッタを手掛けた時、若干15歳。ベートーヴェンの大フーガの弦楽合奏編曲をし、作曲もたしなんでいたフェリックス・ヴァインガルトナーに献呈され、氏の指揮によるヴィーン・フィル演奏で初演された。拍手喝采で演奏は幕を閉じた。
生気に満ち溢れた楽天的な、そしてレーガーらと比較しても構成があまりにもカッチリした作品。R.シュトラウスや師であるツェムリンスキーが天才だと絶賛して、戦慄を覚えるのもわかると思う。その溌剌としたメロディアスな調べ、カッチリとした構成に、師であるツェムリンスキー、ローベルト・フックスの影響を感じる。ユーゲント・シュティールスタイルの典型例のようなオーケストラの扱いには、R.シュトラウスマーラー、もちろんオーケストレーションを教え、いくつかの曲でアドバイスを送ったツェムリンスキーの影響がダイレクトに見えてくる。これ以降純管弦楽作品を手掛けるのは、第2次世界大戦が終わってからなので、オペラを除くと初期の純管弦楽作品としては、最高傑作と言って良いのかもしれない。
後に妻になったルイジが夫から聞いた話では、その頃のコルンゴルトは1日に12時間は、作曲し、音楽に打ち込んでいたとのこと。
屈託のない、幸せに満ち溢れたその調べからは、生来の楽天家と、満ち溢れる若々しさ、エネルギーを感じる。コルンゴルトは、名前にヴォルフガングがついていたことと、小さい頃から作曲し演奏していたため、モーツァルトの再来と言われたが、この天真爛漫な曲想がとりわけ実感させられる。ラヴェルとはまた異なる20世紀のロココスタイルと言いたくなるような優美さがそこにはあるのだ。

大規模編成と書かれているくらいなので、事実上の交響曲として捉えていいと思う。なぜ、シンフォニエッタとしたか?それは、曲想が軽めだからではないだろうか。それに、レーガーのシンフォニエッタのように、ハープが入った関係で声を除いたベートーヴェンの第9よりも楽器編成が大きく、演奏時間が50分を超える作品であっても、交響曲ではなく、作曲者の意向でシンフォニエッタとつけている作品があるからだ。ただ、これは、ある種のひねくれと言えるかもしれない。

冒頭のヴァルツがいい。
第2楽章の雄大な調べは、後の作品以上に映画音楽的。
トリオでは、「Motiv des frohlichen Herzens」=「Theme of the Happy Heart」とされたテーマが、室内楽風に、叙情的に奏でられる。
第3楽章の軽快かつ天国的な美しさ。モーツァルトベートーヴェンの第9の第3楽章、シベリウス交響曲第6番、フォーレブルックナーアルヴォ・ペルトや、佐村河内守のコラールだけが、天国的な美しさではないと再確認できた。軽快で天国的な響きは、私の手元には基本的にないので、それだけでも手に入れないといけないと思えてくる。この屈託のない明るさは、晩年の交響曲嬰ヘ調では、最終楽章を除き姿を消してしまうので、第1-3楽章は、必聴に値すると思う。逆を言うと、最終楽章は、個人的には、性格が近いので、除いて良い気がしなくもないのだ。ただ、完成度は、共に高い。

タワーレコードで予約していた作品は、既にコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲2演奏以外既に揃えていて、昨日結局半衝動的に、コルンゴルト 交響曲嬰ヘ調も購入した。もういいと思いながら、コルンゴルトは前衛的な響きをどう取り込んでいたかを調べるにあたって、作品中最も前衛的な響きも聴けるこの作品も手に入れざるを得なかったのだ。こうして聴くと、私はこの時代のヴィーン音楽が本当に好きだなと実感する。