BiO HAZARD SYMPHONiE op.91聴き始める

この記事に当たり、影響を受けたブログは、音・楽with something 佐村河内守 Mamoru Samuragochという音楽救世主

打ち込みが酷いと言われている。個人的に気になるのは、音が異様に乾いていること。不自然なデッドさ。特に打ち込み楽曲でと言う印象を覚えた。Youtubeで聴いたときにうすうす感づいていたことだけど。そういう意味では、TEMPESTもレコーディング状態が劣悪だったのでは思えてくる。視聴環境は、お世辞にも良くはないが、PCからAKG K240Sを直指し。EQは、一切かけていない。

私は、この時代のゲーム音楽と言うと典型的なほとんどFF一辺倒だったというのもあるのであるが、FF9クラスのクオリティで聴いてみたかったというのがある。鬼武者クラスと書かなかった理由は、鬼武者PS2なので、音源としては、最大同時演奏パートが48とPS1の倍ある為。また、音源の音色も時代相応によくなっているので、プラットフォーム的に完全に負けてしまうため。FF9は、PS1の内臓音源をフルに使いきった作品だからと言うのも理由の一つ。生演奏のストリーミング再生も多いけれど、それは、打ち込みではないため、評価には使えない。



ブックレットには、自作の詩が書かれている。

文学の造詣の深さを感じるとともに、このCDの1曲目である、ロ短調 人類終焉ミサ曲は、このCDにおけるTMPESTと並ぶ核であることが見えてくる。

異種音楽ジャンル同士のコンピレーションライブの総合プロデュースとその作曲を試みたことがあったこと、1990年代から約3年間、民族および宗教音楽と近未来音楽との融合の研究に没頭。この頃に、前衛音楽の効果を吸収したのだろうか。自伝を検証して改めてピックアップしたいところだ。

クラシック・テクノ・民族音楽・宗教音楽など20を超える音楽を自在に操る奇才の音楽家。この記述だけ見ると他の日本人作曲家だと、菅野よう子を思い浮かべる。坂本龍一と言った姿も思い浮かぶけれど、映像作曲家と言われる人たちは、何でも作曲できる人たちが多いので、とりわけ凄いとは思わなくなった。ただ、氏が、クラシックをバックボーンにして、あらゆる技法に精通していることは、前衛的な効果に満ちた曲で感づいていたので、やはりと思ったりする。バイオハザード以前の代表作は、NHK番組「山河憧憬」「チベットゴングと尺八のための幻想組曲 Op.75」映画「秋桜」であることも確認が取れた。

制作期間わずか1ヶ月と考えると、打ち込みの状態、異様に乾いた音響を除けば非常にいい作品だと思えてくる。

TEMPEST楽曲再説も、氏自らが書いている。そのまま書くのも、どうかと思ったので図式化すると、以下

序奏→提示部(第1主部→第2主部)→コーダ

になると思う。コーダは、

冒頭の暗闇があらわれ、不安と、また今度は希望のエネルギーさえも併せ持って音楽は上昇し、決然と曲を閉じる。

ブックレットの解説から

とあるので、凝縮された再現部と第2展開部としての要素がコーダの前半には含まれている。この解釈でセクションわけが変わりそうなのだけど、楽譜なし、また読めないので、なんとも言えないところである。

第1主部のセクションでは、幾つかの重要なシーンのテーマが登場するので、主題群の様相をなしていること。おおむねソナタ形式であり、展開部を含まないのは、提示部で展開しきるためと言う、新ヴィーン楽派をはじめ、マーラー交響曲ソナタ形式に近い形式と言えそうである。交響曲第1番"HiROSHiMA"の第1楽章のソナタ形式とプロットは似ているという印象を覚えた。楽譜がないので、メロディーをトレースして理解を深める以外にないのであるが。理解を深めていきたいと思う。ジョン・ウィリアムズ未知との遭遇」とはことなる前衛音楽と後期ロマン派音楽の出会いがここにあるきがするのだ。また松平頼暁は、異物として調性音楽が作用することで、調性音楽を引用しながらそれを不協和音で壊して前衛音楽に融合しようとしたけれども、佐村河内守は、効果として前衛音楽を用いることで、圧倒的な対比・対斜を起こしているように思える。また不協和音を解放しながらも、不愉快が生まれないようにメロディ運びを計算しつくしているように思えてくる。氏の作品の特徴でもある、激しいリズムと美しいメロディーはこの頃から顕在である。

また、氏はこうも述べる

音楽とは魂の覚醒であり、又それを目指すものである

ブックレットの解説から

これを聴いて思い浮かぶ言葉は、ガブリエル・フォーレが述べた、

私にとって、芸術は、中でも音楽は、 この世に存在するものよりはるかに上の、 できるだけ高いところまで私たちを引き上げるために存在する。 今いるところから、人が歩んでいこうと考える地点に移るのは、どれほど難しいことか。 そして音楽が何の役に立つのか、何度も私は自問した。音楽とは何か。 私が表現するものは何か、どんな感情か、どんな考えか。自分がわからないものを どうやって表現すればいいのか。(1903 年 8 月 29 日、ガブリエル・フォーレ夫人宛)

フォーレ語録

を思い浮かべる。氏もまた、自己超越的な思考の作曲家であることに気付かされた。