NHKスペシャル 佐村河内守ドキュメンタリーを観る

一昨日の夜8時から今に至るまで不眠。佐村河内守の自伝である交響曲第1番、イヤホンの情報集めのために見ていたオーディオ誌を読んでいたら、寝たら寝過ごす時間になるまで、寝つけなかったからだ。

今回は、すべて観た。
映像作りをする人も、構成づくり、映像と音楽のマッチングで学べるところがあったように思う。
冒頭、第3楽章フィナーレ「天昇コラール」の一番印象的なところは、おそらく前回のただイマと同様に、3-4回様々な場面で使われていた。苦闘の場面では、その多くが第2楽章が使われていた。録画は今回も例によってしていないので、記憶のままに綴ると、冒頭が1回、4分50秒以降も一部使われていた。8分37秒以降9分40秒台、12分39秒から14分41秒、とりわけ印象的だったのは、23分12秒から25分49秒辺り。冒頭映像とのマッチングが非常に良くて、「天昇コラール」が流れたあとに使われていたのだけれど、目頭が熱くなるのを抑えれなかった。私は、いつもここを、絶望と闇の中にいる人間の祈りの音楽だと思いながら聴いている。第3楽章からは冒頭と17分3秒以降20分55秒に至る不協和音の最期のピークから天昇コラールに切り替わる付近。第1楽章も使われていた。どの辺りか、記憶が飛んでしまったのだけど。また、記憶がすべて間違っている可能性もある。大体この辺りと思って頂ければ幸いである。

音楽学者の野本由紀夫も出演されていた。簡潔ながら、的を射た言葉であったと思う。
非常に緻密で無駄な音符が一つもない。そしてその上で、トリトヌス=3全音=増4度音程=減5度音程の頻出。これが闇の音の正体なのだろう。調性の無い音楽を手掛ける前のシェーンベルク、ひいては、ロマン派の末期でよく使われた。ドビュッシースクリャービンも3全音が入る和音を各々のスタイルが確立してから用いていた。シベリウス交響曲第4番では終始使っている。リスト メフィスト・ワルツ2番以降のメフィスト・ワルツでも顔をのぞかせる。スケールで言うと、オリヴィエ・メシアンが体系化した、移調の限られた旋法 第4-7法が増4度音程で組まれたスケールになる。
天昇コラールでは、メイン・メロディーに十字架音程(音2つずつを結ぶと線が交錯して十字架が現れる)が使われ、ホ長調なのでシャープが2つついている。シャープはドイツ語でKreuz(十字架)。この音程は、グレゴリオ聖歌にも良く見られる音程でもある。また、web上で検索すると、J.S.バッハマタイ受難曲でも使われていることが確認できた。
天昇コラールでは、メインメロディーは、上昇していく一方で、低音パートは、下へ下がっていく。この点、教科書的。J.S.バッハと言った対位法主体で考えられた作品は、基本的にこうなる作品がほとんど。
野本氏は、ゆえに、西洋音楽史のあらゆる音楽に精通しなければ交響曲第1番"HiROSHiMA"は書けない。そして人の心を揺さぶる深いメッセージ性を高く評価していた。大体こういう内容でよかったと思う。
言い換えれば西洋音楽の諸様式の結節点となるスタイルということになると思う。深くもわかりやすいメッセージは、チャイコフスキーコルンゴルトモーツァルトのメロディーに劣るものではないということ。リズムは、J.S.バッハ、人によってはモーツァルト。メロディーはモーツァルト。ハーモニーはヴァーグナーとよく言われるけれども、激烈なリズム、歌心に満ちたメロディ。レーガーに程よくアヴァンギャルドを混ぜながらも西洋文化に感化された日本的なハーモニー。この三要素が、等しくバランスよく混ざっている気がしてくる。

現在世界最高の知性につながる言及は、決してないが、今までの論評では最も意義深く思う。

氏が今回作曲したレクイエムすべてと、そして交響曲第1番"HiROSHiMA"の映像中流れた断片を身内と聴く。一度、Youtubeを介して交響曲第1番"HiROSHiMA"、吹奏楽のための小品、鬼武者 Rising-Sun 第1楽章を聴いていたのだけれどとうに忘れていた。シンクロしない時にかけた影響か。
身内からの感想。交響曲からは、あまりにも暗い。この世の汚れ、闇、苦しみを知らなければ理解できないのでは、という感想。レクイエムからは、暗さと、リスト、ショパンからの影響を感じたとのこと。モーツァルトのレクイエムをこよなく愛する身内らしい気もする。
交響曲は、今あらためて描くことはないと思っている。大体佐村河内守 交響曲第1番"HiROSHiMA"で書いた感想と同じ。レクイエム。私が頭に思い浮かべるのは、モーツァルトフォーレブリテン、レーガー。ある意味では、ショスタコーヴィチ「死者の歌」を思い浮かべる。ピアノ伴奏のレーガーに響きが近いのだけど*1、メロディーは実に氏らしい。劇的な激しさを持った作品ではないけれど、死者、遺族への同苦の祈りをひたすら感じた。

この番組を見て感じたことがあれば、今回も語り合いたいと思う。というわけで御意見・御感想募集中。ただし、いつも通り無名、ステハン、捨て意見は即スパムとして報告削除するので、ご注意を。
その他注意点は、佐村河内守関連のコメントに関する注意書きに書いた通り。

P.S.WEBを見ていると、番組観た感想で、胡散臭い、ストーリー仕立てにしすぎと言っているけれど、氏は、ナポレオンといった偉人と似ていて、半生を描いてしまうと、劇のようになってしまうタイプであるし、そう言っている人も、手掛ければ気が付いたらえてしてやってしまうものである。流れが見えなければ、人を惹きつけることもできないであろう。また、同じ境遇になって同じことを言えるのかと私は述べたい。普通、とうに死に至る激痛であると思う者である。氏が障害で評価されたくないことを知っている方は多いと思う。皮肉なことに、それは、私たち一人一人に委ねられていることを忘れてはならない。私は、評価するために、できる限り切り離してきたつもりである。ただ、その上で言えば、氏が述べた闇の音の形成には、最愛の弟の死、そして全聾後の頭鳴症なしに説明できなこともまた事実だということも、忘れてはならない。

*1:冒頭の鬱屈した暗さ