佐村河内守に出会ったキッカケ、理解するまでに経たこと

佐村河内守に出会って1年が過ぎた。記憶に間違いがなければ、1年前の3月頃に購入した記憶があったからだ。丁度仕事廃人であった頃でもあり、正確な購入日を思い出せない。自伝は、その1-2年前には間違いなく読んでいる。その時は、まだ注目していなかった。

聴こうと思ったキッカケは、現在世界最高の知性という言葉が目に入ったからだ。iQ180であり、頭の固い学者から感性と知性の最高の結晶とされたヴェーベルンよりも、そしてベートーヴェンモーツァルトよりも高い。もちろん「交響曲の王」ブルックナーよりも高い。また、仏法に通じる、「闇が深ければ深いほど、祈りの灯火は強く輝く」というメッセージに惹かれたからでもある。
初めて聴いた頃は、ブルックナー交響曲第9番に心酔して聴いていた頃と重なる。初めて聴いたときは、過去からの引用が、耳について、一度お蔵入りにしていた。
そして去年の8月、先日のスペシャルにも写ったブロ友の異なる記事を読んだのが、再度聴いたキッカケになった。2度目と言うこともあるが、過去からの引用は、気にすることなく聴き続けることができた。そして、過去最もコメントを頂いたあの記事にその感想を綴った。最近だと気持ちが沈んでいる時に、第2楽章を聴くことがとても多かった。先日のドキュメンタリーの苦闘の場面で流れたあのコラールがとにかくジーンとくる。ここは、ラストを除いて最もシンプルでホモフォニックなところだと思う。
あまりにも辛く苦しくなると、脳は感情を湧きあがる力すら失う。そこにあるのは、絶望と悲哀を胸に秘めながら、不釣りあいな表情を浮かべるか、無表情の人物が孤独にポツリと空気のように誰にも気づかれずにそこに佇んでしまうものだ。そういった人に寄り添うような音楽だと思う。そこに同苦があると言えはしないだろうか。その後自らの業に、根源悪に立ち向かっていく。そして苦闘の中に光を見出しはるかな高みへと昇り行くような。そういう音楽だと私は思う。ゆえに闇の音楽であり、希望の音楽であり、闘いの音楽であり、勇気の音楽である。そしてそれは、ブルックナーフォーレが指向した超越性や宇宙性も内に秘めている。
弦楽四重奏曲第1番や、バイオハザード鬼武者を聴く中で、異なるものの見事な統合や、音楽として成立するように効果的な不協和音の活用をみることができた。鬼武者のサントラをじっくり聴いて結論を出そうと思っているのだけれど、微分音の使用、あまりにも多くのパートを破たんなく効果的に扱い、不協和音を解放させながら見事にソナタ形式でまとめあげる辺りに、iQ180、現在世界最高の天才の栄冠を勝ち得たのではないだろうか。そう思えてくる。

私は、改めて佐村河内守に出会えたことに感謝するものである。

鬼武者から

バイオハザードと同じように、不協和音の解放を用いながら、主題を繰り返すこともあり、実に聴きやすい。曲調からするとボス戦もしくは、かなり緊迫した場面で流れる曲だと思う。私は、甘美な不協和音が大好きな人間だけれど、こういう不協和音もいいと思う。

昨夜20時過ぎに、4月8日に「鬼武者」オリジナル・サウンドトラック〜交響組曲「ライジング・サン」が発送されるとの連絡が来た。あと数日で、鬼武者のサントラが届くとなると心が躍る。これで、これからリリースされるであろう新作を除けば、吹奏楽の小品で、コンプリートになる。