日本人作曲家の交響曲に聴き入る

聴いた作曲家は、吉松隆、原博、諸井三郎、矢代秋雄別宮貞雄
印象的なのは、モーツァルトの形式美をバッハの対位法で再構築したような原博。
形式に関しては、意外なほどドイツ系、そしてフランクの影響を受けながら、響き、色彩感がメシアン風な矢代秋雄。知らない可能性が高いと思っているのだけど、不思議とシュレーカーにもその色彩感は近い。
諸井三郎も良いけれど、形式美のあり方は、原博の方が、私は、好きだ。
吉松隆松村禎三は、私がリスペクトする方向とは異なる印象で、除外した。

ということで、リンクを一挙。

原博自身、前衛、ポスト・モダンに至るまで見ながら、モーツァルトの形式美をバッハの対位法で再構築することにあえて執着した。
そういった気骨そのものは好きだ。

まずフーガを無調で書くことは、調的な整合性なしに済ますことができるので、誠に容易いのである。私は「これで現代作曲家としての責任は果たした。あとは自分のしたいことをする。」と決心し、けじめをつけたのである。ここには二重の皮肉が込められた。一つは、正真正銘のフーガを書くのは先のことだということ。もう一つは現代式無調フーガはもう書いたということ。

我々の世紀を席巻した藝術上の熱狂は、科学的進歩主義を模したもので、盲信されただけ、その環境の破壊性は、そのどちらの側からも凄じかったのである。近景は巨大で、遠景はとるに足りないものに見えるが、実態は逆であって、この科学的というにはあまりにも非科学的な錯覚に類したものが、例えば「蛙にとっての井戸」の構造を成してしまった。このことは近い将来、というよりも、すでに、といってよい程 明らかに証されるに相違ないが、実際、現代曲にたいして古典曲が圧倒的に、演奏家聴衆の両者から支持されており、私にはそのような人間の在り方の方がはるかに信頼できるのである。

【ART-UNIONのCD「交響曲/弦楽のためのセレナード第一番」のブックレット】

前衛音楽の音響効果そのものは、けっこう好きな人間であるし、音楽も産業などどと似ていて、個性、競合しないものを築き上げ金字塔を打ち立てるを繰り返してきたような側面がある。前衛音楽は、宇宙のカオスを表現したようなところがあるしそうした点も好きだ。それ自体は、ある種数学のような法則からなりたっているところも。
ただ、それだけを聴きたいかと言えばうそになる。故に後半書かれている内容には、同意するところも多い。同じスタイルで勝負し、洗練されていく流れがあっていいし、ないのはおかしい。色々な流れが、ぶつかりあって共存し合う時に、いい文化・芸術は生まれるのだから。また、私の本質は、調性・モードの人間であるから。




ここまで聴いてきた中で日本人作曲家で好きな作曲家は、佐村河内守伊福部昭、原博、矢代秋雄の4人。これからもっと増えるかもしれないけれど。