風立ちぬを観に行く

私は、普段スクリーンで映画を見ないタイプ。覚えているのは、1回だけ。その時に見た作品は、高畑勲監督の「平成狸合戦ポンポコ」である。館内は、空きが6-8割位。平日の夕方だからかもしれない。私のように一人で見に来た方もチラホラ見える。カップルで見ていた方も2-4組はいただろうか。

場内CMでは高畑勲監督の「かぐや姫の物語」もオンエアされていた。高畑勲監督は、80歳を過ぎてもなお、初音ミク関係の動画を見ながら演出の探求を続ける探究心にも圧倒される。

ここから本題。まず、庵野秀明の棒読み、実は全然気にしなかった。イントネーションを聴くと、それらしき箇所は結構あると思う。夢に対する、純粋でまっすぐさ、ひたむきさで選んだと、宮崎駿監督、鈴木敏夫プロデューサーは述べていたが、すぐにその意図が理解できたからだと思う。ここのオーディションは、予めこの人だと思った人を呼んで実際に来た時に、最終確認をして即決定というケースが多いので、選び方は結構特殊な印象がある。その中には、話題集めの要素は、ゼロではないと思う。その一方で、声優でない人を選ぶことが、プラスに作用している好例だと思う。

夢のパートでの飛翔、心の師との対話はとても印象的なシーンの一つ。3.11の頃に制作していた関東大震災のシーンは、デフォルメして表現しているのであるが、その大地の躍動する様は、葛飾北斎の肉筆浮世絵のような印象を与える。このシーンを手掛けている時に、起きた3.11に何も感じずにはいられなかった。悲恋もあったりするのだが、流れは、淡々と、そして時間が何もかも飲み込んでいくように進んでいく。そうしたストーリーの進み方もいい。その夢に、ノスタルジーをかけている印象。

カストルプの登場シーンも印象的だ。その時にいた場所を、トーマス・マン魔の山」を引用してたとえたり、”Das gipt 's nur einmal”が歌われる場面もそう。愛のキューピット役を担うシーンはいうまでもない。

BGMは、ハウルの城のノスタルジックさに近いかもしれない。細かい所を言えば、ノスタルジー以外は、まったく似ていない印象を持っている。各シーンと音楽のシンクロぶりは素晴らしい。レコードでサラサーテのツィゴエネルワイゼンが流れる場面もこの時代を感じさせる。

7分5秒あたりから始まるフィナーレのエンドのみが使われた。
作曲者であるサラサーテ自身のプレイは、
身内が一時期こういう曲を聴いていなければ、気付かなかったと思う。

この作品の通奏低音は、チャッチコピーにも使われ、字幕でも出てくるし、朗読もでてくる、ポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓地』の一節“Le vent se lève, il faut tenter de vivre”(風立ちぬ、いざ生きめやも)である。また、旧約聖書 伝道の書からの引用された『凡て汝の手に堪ることは力をつくしてこれを為せ。』も、付随して来る。ヒロイン菜穂子の最後の言葉も「生きて」である。

脱線してしまうのだけど、生きてという言葉で連想する歌は、今でもこの歌。

最後のサビの歌詞に出てくる、約束 お願いはひとつだけ 生きて 生きてである。この歌を手掛けたシンガー・ソング・ライター岡崎律子さんの遺言と言っていい歌という共通項もある。
宮崎作品というよりもジブリ作品のストーリーは、色々あって、ボロボロになったけど生きているといった作品が多い。チャンバラが嫌いな人たちらしい。今回は、とりわけそれが強い。ゼロ戦の完成。愛する人との別れ。最後の夢のシーンでは、純粋に飛行機を飛ばしたい、しかしそれは戦争の道具になるというパラドックス。チラッとみえる東京大空襲。夢,目標と狂気が交差する。

この辺りどう感じるかと言うのは、観た人一人一人に委ねられているわけで、私自身が、感じたことを文章にするのは、非常に難しい。
この作品に込められているものは、要約して言えば、どれだけ絶望の中であろうと、その中で生きていくこと。輝かせていきなさい。ということだと思う。繰り返し見てみたいと思える作品。子供向けではないかもしれないけれど、生来の哲学者のような方なら、見入るかもしれない。
ミリタリーから言及しているサイトは、結構あったりする。
例えば、コのブログ
他にもたくさんあるので、その辺は、触れない。ミリタリーにまったく興味が持てないので、私には書きようがないため。
DVD,BDが出たら買おうと思う。