これから

リスタートの後、私信と言う形で、様々な方々とやり取りしていた。
そこから見えた意外な本質もあった。そして、見抜けなかったことがとても悔しいと感じた。
そして、先日終わった、今も形を変えて続行中のことに対して進めていこうと思った。
昨日、余所で書いた内容は、その8割が半月前に、書こうとしていたことだ。
ようやく、一人と、やりとりをしていて続けようと思った。
そこから見えてきた姿を伝えること、どうだろうと質問をするために。
それを、くじいたキッカケは、この体調不良であった。
したいが、感じている疲れの割に、異常に眠くもあった。それでも、外出たくて出たりもした。
日差しを浴びるだけで、めまい一歩手前の体でさえあった。
SNS依存症かどうかは質問紙をやれば、半分は大抵ついてしまうので、イエローゾーンに入る。
とはいえ、書かなければ不安と言った症状はない。今も完全には癒えていない8年前に、メールで傷付け会った時のこと、また私自身、衝動性が人より高いことも承知しているし、心身不安定な時には、長文で書くことは控えている。
誰からも拘束を受けていない。ただ、事態を好転にしていきたい。そして、かつての約束を果たしたい。
そんな思いでいた。
ただ、やりとりがすれ違うことが、容易に想像できた。非生産的に思えた。
そして、約束を果たすことよりも、祈りぬいて、祈り抜いて、私自身が乗り越えていく姿を見せる中で...
としていく方が、2人にとっての、報恩ではないだろうか、そう思えてきた。
仮に関係を修復したとして、今の私自身が未だ未生怨の怒りを受け止められるだろうかとこの2日間改めて自身に問うた。
私の傾聴力のなさもさることながら、受け止めることは、少なくとも今の私には不可能だろう。
ペリーの末裔の精神科医のようなよき鏡にはなれない。
であるならば、敵だと思っている君の言葉の通り、去ろう。
ただ去るというわけではなくここで試みたいのは、炎上して去って行った賢人たちを見習いたい。
この流れで、この世界に顔を出した時の炎上を思い起こす一方で、この時のことも思い出していた。
今起きている光景は、むしろ、コチラの方が近いかな。
ありのままに綴ってみる
脱線の果てに
昨日大河さんから頂いた言葉、実は、4年前の今頃に頂いた言葉と、リンクする。

変わりゆく姿、テキストをもって証明していくことが、最高の恩返しであり、縁。
私のように、手帳制度で護られない人間は、セーフティーネットで護られることはほどんどない。不条理だと思う時はある。2日前のあるできことにも絡むが、すべてのことを言えずにいた。怒りもしたし、憂鬱にもなった。しかし、身内が実はニートであることは、直に働きかけることができる人間には話せない。家庭不和が待っているからだ。
辛くないかとウソになる。死んでも、金銭面で困らない状態にしなくてはならない。気持ちが沈んでいる時、胸元がズキッとなる時もあるし、長生きはできないだろう。なかなか理解されるものでもないし、相手に苦痛を人の何倍も与えることも分かっているために、恋愛感情すら起きなくなった。その反動が出て切る時もある。笑って乗り越えてみせる、そんな思いで、改めて生きていく。

同じ症状を持ち、私よりも重度で生きているWEB上の先輩がいる。
その方は、社会の無関心に誰よりも注視する方である。ゆえに、一人立つの精神で、生活難とも向き合いながら、東北の被災地のボランティアに度々足を運ばれた方だ。いつも、これでよかっただろうかと、葛藤しながら。誰よりも、自尊心を折らないように配慮しながら、それを他人に押し付けることは決してしなかった。
私もそうありたい。

iさんは、その方や、私よりも見ているかもしれない心の薬に赴かないのはなぜだろう。そこに、彼の生命の傾向を見る思いでもいる。

家にいると、衝動性の傾向にスイッチが入りやすくなっていることに気付いた。
平日は常にいて、仕事もせずに、身内がいる。学会活動以外では、家を出ることはない。その理由は何も言わない。その状態で、飛び飛びで短期の仕事をしていたようだが4年以上この状態。周りを欺いて。そのことに対して、形容しがたい怒りが湧き上がりな自分がものすごく悔しい。
だからこそ、忍耐強く。忍耐強く。
そうした自分を理解し、受け入れながらも、本覚思想に陥ることなく。
書いていて感じることは、無明との境界線にいあること。
何事にも負けないことを、あえて強いたい。