脳内リセットのために、着々と。

昨夜から今朝聴いていた楽曲は、ブルックナー 交響曲第8番・第9番それぞれ第4楽章。そしてベートーヴェン弦楽四重奏曲第14番と大フーガ。
まず、佐村河内守プロデュース新垣隆作品に対するバイアスを壊したいと言う意味も込めて、色々な作品を聴くことにした。壊したい刷り込みは、iQ180の天才である。

様々な意見を拝した。

吉松隆は、

交響曲のCDが出て有名になってから以降の彼の作品の「劣化」ぶりは気になっていたが、あの《交響曲》自体は「人を騙してやろう」という思って書いたにしてはあまりに「誠実」な響きがする。

それがあの《交響曲第1番》である。もともとは(広島とは全く関係なく)「現代典礼」というコンセプトだったようで(中略)
この時点(2003年?)では、本気で(売れる売れないではなく)「世間をアッと言わせるような世界的な傑作を作りたい」という純粋な熱意があったのだろう。それは本物だと思う。実際、「売れるアテ」などその時点では全くなかったのだから。
面白いのは、(私も独学でロック経由だったのでよく分かるのだが)このアイデア表の素材の中に(バッハ以前と現代作品はあるのに)肝心のドイツロマン派から近代音楽までの「クラシック音楽の基本」がすっぽり抜けていることだ。なのにビクトリアやバード、そしてオルフとかペンデレツキといったマニアっぽい作曲家は知っている。ロック畑出身というかビートルズっぽいというかその音楽知識のアンバランスさが興味深い。
(中略)
自分が音楽大学で習った古典の知識を総動員し、生真面目かつ誠実にチャイコフスキーマーラーといった(S氏の発注にはない)ロマン派のハーモニーやオーケストレイションの書式をこってり盛り込むことになったわけだ。(私が最初に聞いて、素人の聴衆を1時間以上飽きさせないこの曲の不思議な「構成力」に感心したのは、この綿密なタイムチャートがあったためのようだ)
(中略)
この「発想とアイデアの誇大妄想的異形さ」と「作曲法とオーケストラ書法の職人的精緻さ」という両者の(まったく異質な)要素が偶然合体し、あの(時代錯誤という非難も世の常識も怖れない)「壮大なロマン派交響曲」を生んだことになる。
(中略)
評価乱高下の渦中にある可哀想な《交響曲》だが、音楽的にはきわめて示唆に富んだ、学ぶべき点の多い問題作であることに気付く。
またS氏騒動・長文多謝 隠響堂日記

なお、こんなことも書いている

もちろんあの「交響曲」がベートーヴェンマーラーと比肩する物だとはいくら私でも思わない。
しつこくS氏騒動・交響曲編 隠響堂日記

と書いているのは、留意されたい。

今日ようやく彼のゲーム音楽での代表作という「鬼武者」の2枚組CD(現在は廃盤)を手に入れ、彼の音楽の一端に触れることが出来た。
 ゲーム音楽とは言え、かなり巨大編成のフル・オーケストラと多種多彩な和楽器を使ったなかなかの力作である。さまざまなスタイルの楽想がポプリのように並列しているものの、終始大真面目で時に甘いまでにロマンチック。敢えて近しい音楽を挙げるとすればマーラーか。
隠響堂日記より

佐村河内名義で新垣氏が書いた曲は、クラシックにも同時代の曲があるという気付きと、20世紀以降のクラシック、現代音楽の第1級の作品を聴いてきたバックグラウンドの無い音楽愛好家の方に取っつきやすい現代日本の一般人等身大の感傷性をもっている入門用ピースとして一定の役割をもてる可能性はありますが、本来は、多くのクラシック演奏家も音楽ファンも、ストラヴィンスキー以降、メシアンブリテンショスタコーヴィチプロコフィエフ、新ヴィーン楽派、アイヴス、ヒナステラ、武満、黛、湯浅、ルトスワフスキから現代日本の多くの作曲家まで、十分に聴いて、耳を肥やさなければなりません。そのように耳が肥えた演奏家と聴衆が育った時には、佐村河内名で新垣氏が書いた曲は役割を終える可能性が高い。

近現代の名作の数々、新垣氏以外の現代の多くの作曲家の作品が広く演奏される状況が生まれてきた時には、これらの曲は生きのこるのは難しいでしょう。

プロコフィエフショスタコーヴィチやニールセンやオネゲルやヴォーン=ウィリアムスやヘンツェなどの20世紀の第1級の交響曲を知っている音楽愛好家なら、この交響曲「Hiroshima」は、それらに比肩するような交響曲ではないと気付くと思います。
山の作曲家の日記 佐村河内守事件についての、演奏家と音楽愛好家へのお願い

なお、ここでは私も簡単に質問をしている。タイプミス交じりと言う爆弾があるのは、苦笑である。

曲の形式は何が理想だろう。モーツァルト 交響曲第41番「ジュピター」、ルトスワフスキ交響曲第2番、3番辺りか。対位法の対斜としてブルックナー 交響曲第5番、8番、9番はあげるべきか。
旋律美は、コルンゴルトプロコフィエフ辺りが範をとられるか。
楽器の色彩美は、メシアンに範がとられるか
前衛的な技法としてピックアップされるべきは、やはりピッチ・インターヴァル技法か。同じことをやっても意味がないので、音階は極限まで細分化されるのがベストか。

フラットにするために、ベートーヴェン弦楽四重奏曲第14番、大フーガ、ルトスワフスキ交響曲第2番3番、松平頼暁"Revolution","24 essays"、ヴェーベルン カンタータ第2番をヘビーローテーションしていくことにする。

そしてその間に、休みに行動を起こしていくので、そのための準備を着々と進めていく。